戦前の「超特急」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 00:54 UTC 版)
通称としての「超特急」 戦前に日本で「超特急」と呼ばれていた列車として著名な列車として、1930年(昭和5年)10月に東京 - 神戸間で運行を開始した特別急行列車「燕」号が挙げられる。これはダイヤ設定にあたって、編成を他の特急列車に比べ短くして換算両数を減らし、停車駅を運転上必要なものと大都市のみに絞り、かつ、使用する蒸気機関車に補助給水車を連結し、乗務員交代も走行中の車外を伝って行うなどして、蒸機牽引列車であっても最大限の時間短縮が可能なように設定された。しかし、「燕」に対する「超特急」の呼称はあくまでも通称であって、「特別急行」が正式な列車種別だった。 正式名称としての「超特急」 現在の名古屋鉄道名古屋本線の東半分を当時運営していた愛知電気鉄道では、神宮前 - 豊橋間の最速達列車として、1930年(昭和5年)9月から超特急「あさひ」号の運行を開始した。 現在の阪急電鉄京都線の前身である京阪電気鉄道新京阪線では、1930年(昭和5年)10月1日のダイヤ改正時に天神橋 - 西院(仮)間をノンストップで結ぶ列車を「超特急」と命名、以後京阪京都延長線の開業を経て、1938年(昭和13年)10月1日のダイヤ改正で急行と統合して「特急」に種別を変更するまで、同線の最速達列車として運転された。現在の阪急京都線特急の前身に当たる。 1933年(昭和8年)12月に現在のJR西日本阪和線を当時運営していた阪和電気鉄道では、阪和天王寺 - 阪和東和歌山間をノンストップで結ぶ列車を「超特急」と命名した。この列車は61.2 kmを最速45分で走破し、表定速度においては、戦後特急「こだま」が記録を更新するまで長く国内最速達列車の座にあった。のちの新快速、現在の紀州路快速の前身に当たる(JRの他線区としての特別快速に相当する)。
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