戦前のカラー映画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 06:42 UTC 版)
「千人針 (映画)」の記事における「戦前のカラー映画」の解説
戦前の日本では、富裕層や写真店の経営者、日本在住の外国人を中心に、アメリカ製コダック・カラーフィルムやドイツ製アグファ・カラーフィルムなどによるホームムービーが撮影されるなど、一部の家庭では普及していた。 また、『千人針』が製作された1937年には、資生堂花椿会の会員優待イベント「花椿会員の集ひ」の上映用に、コダクローム16mmカラーフィルムによる化粧の解説映画『資生堂式新美顔術』が製作された。400フィート約15分で、「基礎化粧」「洋風化粧」「和風化粧」の3編、計45分が製作され、外国での現像を経て、1938年(昭和13年)3月に基隆市で最初の上映会が開かれ、5月以降は沖縄を除く内地と樺太、朝鮮、満州で、翌1939年(昭和14年)5月には沖縄でも上映された。なお、フィルム自体は戦時中に失われた。 『千人針』以降、1945年(昭和20年)にも戦中疎開の中での疎開児童と教師との日々を綴った映画『春の歌』が国産フィルムを使用し試作されている。しかし、この映画のフィルムも戦災で現存しない。
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