戦前のスキーブームとは? わかりやすく解説

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戦前のスキーブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 07:12 UTC 版)

スキーブーム」の記事における「戦前のスキーブーム」の解説

レルヒ伝えたスキー俗に一本スキー称されるMathias_Zdarsky(英語版)に連なる急斜面山岳地帯向きオウストリ式のリリエンフェルト・スキーであった一方でストックを2本持つ形式競技向きノルウェー式などと呼称された。 遠藤吉三郎1916年大正5年)に帰国すると、北海道ではノルウェー式が一般的となった1923年大正12年)に第1回全日本スキー選手権大会開かれると、ノルウェー式の北海道勢上位占めたことなどもあり、試行錯誤時代経て2本式定着していった。 1925年大正14年)に全日本スキー連盟SAJ誕生1928年昭和3年)にはサンモリッツ第2回冬季オリンピック初め日本人選手団参加日本代表早大生が多く占めた同年全日本学生スキー選手権大会開催。こちらは北大初代総合優勝飾った1930年昭和5年)に玉川学園招聘によってハンネス・シュナイダー来日するハンネスの上した「アールベルグ・バイブル」によってほぼ現代スキー滑り方が確立する昭和入り鉄道網発達などもあってスキー大衆化したことで、スピードテクニック競う競技スキー」の他に「一般スキー」という概念生まれる。 1936年昭和11年)、鉄道省国鉄)が大穴スキー場スキー講習会を開く。翌年にはスキー道場と名を変え岩原開催1939年昭和14年)、SAJは「一般スキー要領」を発行し一般スキーの普及発展目指すうになるスキー技術検定現在のスキーバッジテスト)が開始され指導員検定制度始まった。 戦前のスキーブームにおいては概ね近代登山における登山好適地に近い他、宿泊施設としての旅館等が既に存在していた降雪地帯にある山間温泉地が主に発展した越後湯沢温泉草津温泉野沢温泉蔵王温泉など)。 例として川端康成小説雪国』には主人公島村温泉旅館からゲレンデスキー客の様子を見る記述存在する上越線全通1931年昭和6年〉、雪国発表始まったのが1935年昭和10年〉)。 国防上でスキー重要性依然としてあったが、戦時下において観光自粛叫ばれ1942年昭和17年)から1945年昭和20年)までSAJ一時解散するなど、ひとまず一般スキー下火となる。

※この「戦前のスキーブーム」の解説は、「スキーブーム」の解説の一部です。
「戦前のスキーブーム」を含む「スキーブーム」の記事については、「スキーブーム」の概要を参照ください。

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