戦前のドイツ医学、戦後のアメリカ言語病理学の導入
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「言語聴覚士」の記事における「戦前のドイツ医学、戦後のアメリカ言語病理学の導入」の解説
日本の言語聴覚療法は、小児教育の分野で始まった。1878年、古川太四朗らにより京都盲聾唖院が開設し、日本初の聴覚障害教育が始まった。1880年に楽善会訓盲院が開設。言語障害については、伊沢修二が1903年に楽石社を開設し、視話法による吃音矯正を行った。1926年には東京都内に最初の吃音学級、1934年には難聴学級が開設された。1953年には、千葉県の市川市立真間小学校に言語障害児と読書不振児を対象とした通級式治療教室が開設されている。その後、国立大学の教育学部に言語障害児教育教員養成課程、臨時養成課程、特殊教育特別専攻科の設置がなされ、これらの修了生が、全国の言語治療教室と難聴学級の教員や病院における言語聴覚領域の支援を行うスタッフとして活躍していた。医学の世界では、ドイツ医学の導入により、1900年代頃から耳鼻咽喉科学会で失語症や吃音などに関する発表がなされるようになった。1929~31年に九州帝国大学と東京帝国大学で音声言語障害の専門外来が始まった。ただし、失語症など成人の言語障害については、リハビリテーションの導入が遅れ、1950年代以降に笹沼澄子をはじめとするアメリカで言語病理学の学位を取得してきた人びとによって、ようやく言語聴覚療法の臨床が始まった。具体的には、1958年に国立ろうあ者更生指導所(後の国立聴力言語障害センター、1979年に国立障害者リハビリテーションセンターに統合)が発足し、入所者の更生指導はもとより、一般外来において、聴覚、音声、言語障害のリハビリテーションを開始した。こうして、医療・福祉の分野での言語聴覚士の活動が始まることになったのである。
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