慕容儁の時代とは? わかりやすく解説

慕容儁の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 09:44 UTC 版)

慕容評」の記事における「慕容儁の時代」の解説

349年5月輔弼将軍任じられた。また、陽騖は輔義将軍に、慕容恪は輔国将軍任じられ慕容評は彼らと共に三輔称され、来る中原攻略の大遠征軍中核任された。 350年2月慕容儁中原への侵攻開始すると、慕容評はこれに従軍した前燕軍は各地戦勝挙げ後趙主要都市であるや鄴などの後趙主要都市傘下入れた。 これより以前冉閔後趙から自立して冉魏建国すると、後趙殿中であった賈堅郷里勃海郡戻り数千の兵を纏め上げて自立するようになった同年9月慕容評は軍を率いて勃海到来すると、使者派遣して賈堅帰順要請したが、賈堅決して降らなかった。その為、賈堅の守る高城侵攻すると、これを陥落させて賈堅捕らえた功績により章武郡太守任じられた(章武郡は元勃海郡一部である)。 351年8月魯口を守る後趙幽州刺史王午討伐向かった慕容評南皮まで軍を進めると、王午配下将軍鄭生を派遣して迎撃させたが、これを返り討ちにして鄭生を討ち取った352年4月慕容恪は魏昌の廉台において冉閔撃破し、その身柄捕らえた同月慕容儁の命により、慕容評中尉侯龕と共に精鋭騎兵1万率いて出撃し、冉魏本拠地である鄴を包囲した冉魏大将軍蒋幹皇太子冉智籠城して徹底抗戦構え見せたが、城外にいる将兵尽く慕容評降伏した5月兵糧攻めにより鄴城内では食糧欠乏し人々人肉食べて飢え凌ぐ有様であった蒋幹東晋使者派遣して帰順意志示し引き換えとして援軍要請した。これを聞いた慕容儁は広威将軍慕容軍殿中将軍慕輿根・右司馬皇甫真らに2万の兵を与え慕容評加勢させた。6月東晋将軍戴施は壮士100余り率いて鄴へ突入すると、三台(鄴城内にある氷井台・銅雀台金虎台の3つの宮殿を指す)の守備当たった蒋幹自軍精鋭五千東晋軍を率いて城から出撃したが、慕容評はこれを大破して4千の首級挙げ蒋幹は鄴城へ逃げ戻った8月冉魏長水校尉馬願らは城門開いて前燕軍を招き入れ、戴施と蒋幹城壁越えて逃走し倉垣へ奔った。慕容評董皇后皇太子冉智太尉申鍾司空らを捕らえ乗輿・服御と共に慕容儁のいる送った慕容儁慕容評に鄴を鎮守するよう命じた352年11月慕容儁帝位に即いた。 354年3月、鎮南将軍都督秦雍益江揚徐兗豫十州諸軍事に昇進し洛水鎮守命じられた。 同年4月司徒驃騎将軍昇進し上庸王に封じられた。これ以降、四公(太尉司徒司空大司馬)の一角として朝政参画するようになり、前燕滅亡する時まで司徒職務務め続けた358年2月上党郡太守前燕反旗を翻すと、慕容評討伐に当たるも攻略手間取った3月慕容儁の命により、領軍将軍慕輿根慕容評軍の加勢として到来した慕輿根が急攻しようとすると、慕容評は「馮は砦を固めているから、その心を緩めるべきであろう」と諫めた。だが、慕輿根は「そうではありません。公(慕容評)は城下至って月を経ておりますが、未だに一度交戦しておりません。賊は我が国家の力がこの程度だと考え万一僥倖願っております。今、我の兵がやってきた事で形勢変わり、賊は恐れてみな離心生じ、計を定められずにおります。これを攻めれば必ずや勝利を得られるでしょう」と反論すると、慕容評もまたこれに応じて急攻を決行した予想通り配下との間に互いに疑い生じた末、野王逃走して呂護頼り、その兵は皆降伏した9月并州一大勢力保っていた張平攻撃し征西将軍諸葛驤・鎮北将軍象・寧東将軍喬庶・鎮南将軍石賢らを始め138の砦を降伏させた。張平は3千の兵を伴って平陽逃走すると、前燕謝罪して降伏請うた。 359年8月東晋泰山郡太守諸葛攸が2万水軍陸軍率いて前燕侵攻すると、石門より侵入して黄河中州駐屯した。諸葛攸は配下の匡超を碻磝に進ませ、館を新柵に配置し、さらに督護徐冏には水軍三千与えて進ませ、東西より気勢上げた慕容評長楽郡太守傅顔と共に5万歩兵騎兵率いて東阿において迎え撃つと、諸葛攸を大敗させた。

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