惟康親王願文とは? わかりやすく解説

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惟康親王願文〈文永十一年十一月日/〉

主名称: 惟康親王願文〈文永十一十一月日/〉
指定番号 198
枝番 00
指定年月日 2005.06.09(平成17.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 1巻
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  本巻は、文永十一年(一二七四十一月当時鎌倉幕府将軍であった惟康親王一二六四一三二六)一一歳が、父で前将軍宗尊【むねたか】親王一二四二~七四)の百か日の忌辰迎えて作善供養法要勤修したときの願文である。
 惟康親王は、宗尊親王第一皇子として、文永元年鎌倉誕生した宗尊親王は、当時鎌倉幕府実権掌握していた北条氏念願した初めての皇族将軍であったが、文永三年には将軍職廃位となり鎌倉追われた。惟康は、父の廃位により同年三歳将軍宣下を受け、第七代将となった
 体裁巻子装。料紙には金銀の切箔を散らし表した上に、岱赭【たいしゃ】、緑青ろくしょう】、胡粉【ごふん】、などにて、秋草などの下絵描いている。法会願文意匠を凝らすのが例であり、本巻将軍願文ふさわしく華麗な装飾料紙用いられている。本文一紙一三行から一七行、一行一四前後暢達した筆致書写されている。「敬白と書き出し次に「奉圖繪釋迦阿弥陀如来像一鋪」の図写以下、法華経無量義経観普賢経阿弥陀経般若心経等各五部書写の作善事項列挙し、「右尊像妙典甄録如斯」以下に願意述べ、前大僧正法印大和尚位を導師として、六口の僧侶同音開題し、厳重な法要行ったことを記し書止を「敬白」と結んでいる。次行に「文永十一十一月 日弟子征夷大将軍近衛権中将従二位源朝臣 敬白」と年紀願主名を記している。
 本文対句多用し四六駢儷体しろくべんれいたい風に表現されている。神武天皇を祖とする考え方や、源頼朝一一四七~九九)が征夷大将軍任命され建久三年一一九二)を意識している点など、当時歴史認識うかがい知る上において注目される内容含んでいる。
 本巻清書者は不詳であるが、その書風は、鎌倉時代初頭盛行した京極様【ごきょうごくよう】に属するもので、字形はやや縦長で力強い筆致書かれている藤原良経よしつね】(一一六九~一二〇六)が大成した書風特徴有しており、その代表的なものに『佐竹三十六歌仙絵』や『紫式部日記絵巻』がある。本巻はこれら後京極書風下限を示すものとして、書道史上にも注目される
 本願文は、鎌倉幕府史書である『吾妻鏡』にも記載のない時期史料として、また類例稀な鎌倉時代中期装飾料紙用いた武家供養願文として貴重である。
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