弱者と強者に関して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:42 UTC 版)
ブラスは幼少期、ロシア経済が困窮していた環境に生まれた(前述)。少年期以降は日本で生活しながら、ソビエト連邦崩壊後の貧しかったロシアへと定期的に帰省し、両国の違いを目にしながら育った。その経験から、2019年10月に次のように語った。 経済の立て直しにもがく国(当時のロシア)と、経済成長がひと段落した国(日本)との最大の違いは、「小さな声」の大きさだった。例えば、日本の公衆トイレにはたいてい障がい者向けのトイレが設置されているが、ロシアではめったに見かけることがない。「障がいのある人が利用しやすいトイレを作ってくれ」と声をあげても「その前に健常者用のトイレも足りないのだから、ワガママを言うな」と言われるだろう。 このように、経済的に余裕がない環境では、少数派の「小さな声」に耳を傾ける余裕がない。 だからロシアでは、「自分が弱者」であると声をあげることは少なかった。今でもあの国では、弱者の声はまだまだ世間に届かない。 一方で日本のように経済的に安定した国では、社会的弱者の存在に目を向ける余裕があるように思う。以前までは経済成長の波にかき消されてきた弱者の「小さな声」が社会全体へと届くようになり、日本でも女性の権利、障がい者の権利、LGBTの権利が叫ばれ、支援が広まっている。それは素晴らしいことだ。 ただ一方で、経済的に余裕がある国では、「支援をするのは立派なことだ」という価値観から、「支援をするのは当然だ」という価値観へと変わってしまう一面がある。耳を傾けなければならない「小さな声」が多すぎて、それがある意味での生きづらさに繋がってしまう。 日本も気づけば、「強者」と「弱者」をはっきり分けるようになったと感じる。「自分は弱者だから強者に支えてもらうべきだ」と主張する人も増えているのではないか。 もちろん、社会的ハンディキャップを抱える人には、それを克服できるよう支援するべきだし、弱者を切り捨てることはあってはならない。 では、そもそも「強者」とは誰なのか。「誰がどう見ても健康で裕福な日本人男性」だろうか。その男性ですら、ストレスや痛みに弱かったり、コミュニケーションが苦手など、様々な弱点があるはずだ。本当の意味での「強者」なんてそうそういないのではないか。 「弱者」とは「全てがダメで弱い人」というわけではない。各々が自身の強みと弱みを理解して、互いの強みを認め合えれば、互いの弱点を補えるはずだ。「強者は弱者を支えなければならない」「弱者は立場をわきまえなければならない」という固定観念は不要だ。それぞれが自分の畑で得意な作物を育て、それを寄せ集めてみんなで食べればいい。 人は危機的な状況に陥ると、驚くほど助け合い、補い合うことができる。日本のように裕福な国に生きていると、それを忘れそうになる。「みんなが弱者で、それぞれが持つ強みで補い合う」という意識で生きればいい。 「小さな声」を挙げることができないロシアでは、「僕は外国人で同性愛者だ。好きな人と子どもを作ることができない。自分が老後いざという時に頼れる人がいないことを心配して生きている。そこが弱点だ。」などという発言はできない。 「小さな声」が挙がらない国では、その声に気づけないばかりか、間違って解釈してしまう。小学生の頃、ロシアの親戚の家に泊まった際に、テレビ番組でゲイカップルの映像が流れた。その時、親戚のおじさんが「こういう人たちは捕まえてでも治療を受けさせるべきだ。」と言ったことが今でも忘れられない。 もしも「僕は同性愛者だ」と言ったらどうなるのか、恐怖すら覚えた。 彼は同性愛者に関する知識がないために、「同性愛は治せる病気であり、同性愛者はその病気を治そうとしない自分勝手な人たちだ」と誤った解釈をしていた。 こんな誤解があるからますます「小さな声」は挙がらず、誤解は解けないという悪循環に陥っていた。 ロシアでは今まさにこの誤解を解くために、「小さな声」を挙げようとする人たちが闘っている段階だ。 日本では、この段階は越えたと思う。僕は日本では周囲の友人やメディアに対し、なんの躊躇もなく自分が同性愛者だと語っているが、身に危険を感じるようなことは一度も起きていない。 日本では誰もが堂々と助けを求めることが許されるようになった。次の段階へ踏み出せる時期にある。それは、強者とされる誰かに助けを求めるのではなく、自分の強みをさらけ出し、互いに補い合おうとする段階だ。今後は、自分の弱みや、助けて欲しいことを言った後には「僕の強みはこの元気な身体と、誰の懐にも入っていけるコミュニケーション能力。この強みが生かせることがあれば、ぜひ手伝わせてください」と付け加えようと決めている。 僕は弱者であり強者だ。特定の誰かに、強くあることを強いる必要はない。
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