底質汚染の取組の歴史
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2008年11月 大阪府が「三箇牧水路底質対策に係る費用負担計画について」(部会報告)をとりまとめる 5月 国土交通省が「河川、湖沼等における底質ダイオキシン類対策マニュアル」(案)及び「港湾における底質ダイオキシン類対策技術指針」を改訂 2007年 横須賀で底質汚染等を理由とする浚渫工事の差止裁判が提訴される11月北九州市港湾空港局が洞海湾の底質ダイオキシン類汚染を発表(濃度:環境基準の30倍 体積:62,000m3)。 9月 大阪府が三箇牧水路底質汚染対策を一旦完了し報告書をとりまとめ 3月 国土交通省の河川環境課が「底質のダイオキシン類対策技術資料集」をとりまとめ 3月 国土交通省が「底質ダイオキシン類対策検討調査報告書」と「底質ダイオキシン類対策の基本的考え方」をとりまとめ 2006年 水俣病公式確認50年を迎える 2005年 河川、湖沼等における底質ダイオキシン類対策マニュアル(案)改定 2005年 国土交通省の新潟港湾空港技術調査事務所が底質ダイオキシン類分解無害化処理技術]をとりまとめ 2004年 国土交通省が河川、湖沼等における底質ダイオキシン類簡易測定マニュアル(案)をとりまとめ国土交通省が「河川、湖沼等におけるダイオキシン類常時監視マニュアル」(案) 「市原港」で高濃度(12,000pg-TEQ/g)のダイオキシン類が検出され、「市原港」全域にダイオキシン類による高濃度汚染の確認 2000年 ダイオキシン類に係る底質調査測定マニュアル 1998年 古綾瀬川松江新橋地点の底質から過去最高濃度(当時)の720[pg-TEQ/g]が検出ダイオキシン類対策特別措置法に基づく底質環境基準の施行 1995年東京湾内の浦賀港内において住友重機械工業がおこなった浚渫工事において多額の漁業被害発生 1979年 酒田港、徳島湾、大江川、水俣湾、敦賀港、高砂西港等において底質の除去等の対策を実施 1975年 底質暫定除去基準 1974年 水銀やPCB等に汚染された高砂本港、北九州市洞海湾、岩国市の地先海域等における汚でいの浚渫(しゅんせつ)作業の実施 1973年 瀬戸内海環境保全特別措置法の制定 1970年 水質汚濁防止法の制定田子の浦港ヘドロ公害で富士市住民が製紙会社と静岡県知事を告発 1969年 全国的にも汚濁の著しい東京都の隅田川、大阪市の神崎川、名古屋市の堀川、福岡市の御笠川、尼崎市の庄下川、横浜市の帷子川、和歌山市の和歌川のしゅんせつの実施
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