幼少期から旧制高校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 07:27 UTC 版)
福島県石川郡石川町出身。3人の兄がいたが長兄と三兄は鈴木光男が生まれる前に夭逝し、次兄も鈴木が5歳の時亡くなっている。1943年4月、石川町立尋常小学校に入学する。小学校時代から戦時色が強くなり、高学年になると勤労奉仕として農家の手伝いに行くようになった。 1940年4月、私立石川中学校(現学校法人石川高等学校)に入学する。中学時代の夢は「小学校の教員になって、僻地教育に一生を捧げる」と言うことだった。3人の兄が夏目漱石、石川啄木、若山牧水などの多数の書籍を残してくれた。その中で若山牧水を愛読した。中学2年の時祖父を失う。 またライナー・マリア・リルケにも影響を受け『若き詩人への手紙』、『ドゥイノの悲歌』、『マルテの手記』などを読んだ。数学にも興味を持ち、『有限解析緒論上巻』(渡邉良勝)や『物理数学入門』(杉田元宜)を読み影響を受けている。1944年7月、中学5年生にて学徒勤労動員で相模陸軍造兵厰に配属となる。1944年、東京工業大学から同じく相模陸軍造兵厰に来ていた学生の話を聞き、山形高等学校 (旧制)を受験し合格した。6月に進学を理由に相模陸軍造兵厰を退厰する。同年8月、山形高等学校入学とともに勤労動員で山形県西村山郡柴橋村金谷で地下病院の構築を行う。 敗戦後、山形高等学校に登校し授業が開始される。鈴木は学生寮内に数学同好会を作るが、これは後に寮のサークル制度廃止もあって解散している。また、寮生新聞『ふすま』に短歌を寄稿し、いくつかが掲載された。斎藤茂吉や結城哀草果も出席するアララギの歌会にも出席したりもしたが、才能に限界を感じたり雰囲気に馴染めなかったため、鈴木は歌の世界から遠ざかることになる。
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