幼少期から最初の犯行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/26 16:57 UTC 版)
「グレアム・ヤング」の記事における「幼少期から最初の犯行」の解説
ロンドン郊外のニースデンという町(当時はミドルセックス州ウィルズデン市自治区。現在はブレント・ロンドン自治区)で生まれる。彼は幼い頃より毒物が人体に与える影響について強い興味を抱いていた。1961年、14歳のときに家族に毒を投与することを試み、重篤な結果を生じさせる。彼はアンチモンやジギタリス製剤を少量ずつ頻繁に購入したが、学校の化学実験で使用するとして大量の毒物を購入することに成功した。 1962年、ヤングを虐待していた継母モリーに致死量の毒を与えたことで殺害した。その後、更には父親、姉妹、学校の友人たちにも毒物を与えた。その一方で彼はどの食物に毒物を混入したかしばしば忘れ、犠牲者と同じように吐き気や病気に苦しむことがあったため、彼に疑いがかかることは無かった。しかしグレアムの叔母ウィニーは彼が科学と毒物に熱中していたことを知っていたため、やがて彼を疑うようになり、グレアムは精神科医を受診させられた。そこで診察に当たった医師は、毒物に対する知識と情熱を熱心に語るグレアムの博識さを褒めそやし帰宅させたが、その後そのまま警察に通報した。かくして、グレアムは1962年5月23日に14歳で逮捕され、彼は父親、姉妹および友人に対する殺人未遂を認めた。彼は所持していた酒石酸アンチモンカリウムを「小さな友達」と呼んでいたという。なお、継母の死については罪に問われなかった。継母を火葬することをあまりにもしつこく主張するグレアムに父親が折れたため、死因が分析できなくなっていたためである。 ヤングにはブロードムア病院(精神的に不安定な犯罪者のための機関)への15年の収監が宣告されたが、「完全に回復した」と認められたため9年後に釈放された。しかし実際には、彼は収監中も院内の図書館で化学書や医学書を読み漁り、そこから得た知識を基に病院敷地内に自生する植物からの有毒成分の抽出や、囚人仲間や病院のスタッフを被験体とした毒物投与の実験さえも行っていた。
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