平和公園で起こった事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 15:24 UTC 版)
「広島平和記念公園」の記事における「平和公園で起こった事件」の解説
1971年8月6日、佐藤栄作が首相として初めて平和祈念式典に参加したことに合わせて新左翼系の学生が広島に集結、公園を出発地としたデモを行った。同日夕方から夜にかけてデモから戻った学生らが再び公園に集結、機動隊に投石を始めると見物の群衆も加わり約3000人規模の騒乱状態となった。 1989年7月、公園内にある「全損保労働組合被爆20周年記念碑」が台座から持ち去られ、広島刑務所脇に放置された。碑文の『なぜ あの日はあった なぜ いまもつづく』を天皇制と資本主義に対する批判であるとして大日本愛国党広島支部長(49)が小型トラックに積み込み動かしたもの。 2001年12月、原爆死没者慰霊碑に落書き、さらに赤ペンキが掛けられる。 2002年3月、原爆慰霊碑に再びペンキが掛けられているのが見つかる。 2003年8月、関西学院大学4年の男が公園内の折り鶴に放火。飾られていたうちの14万羽が焼失。(折り鶴放火事件を参照) 2003年10月、原爆慰霊碑の表面に、油のような物で手形が入れられているのが見つかる。 2005年7月27日、原爆慰霊碑破損事件。原爆死没者慰霊碑に刻まれた碑文『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』の『過ち』の部分を、右翼の男が削ろうとして傷つける。この『過ち』に、原爆を投下した当のアメリカへの抗議と批判が込められていないと解釈され、男はそれに反発したと主張した。10月26日に懲役2年8ヶ月(求刑懲役3年)の実刑判決。 2006年1月11日午前7時50分頃、平和の灯と平和記念像の台座、トイレに落書き。トイレの壁には更に、昭和天皇の田植えを撮った写真が貼られていた。 2007年9月24日午後11時頃、平和記念公園内で路上生活をしていた男性が同じく路上生活者の男に果物ナイフで刺殺される事件が発生する。 2010年3月11日、平和公園の被爆桜が数本、引き抜かれているのが発見される。 2012年1月4日、原爆慰霊碑に金色のペンキのような物が掛けられているのが見つかる。3回目。 5月9日、韓国人被爆者の追悼目的で平和公園内に植樹されていたチョウセンゴヨウ(マツ科)の木が、人為的に抜き取られていたことが明らかになった。 2015年1月27日、平和記念資料館の南側の花壇で、ハボタンが約65株に亘り抜き取られているのが見つかる。 2016年7月25日、平和公園内の樹木のうちの一本に、アルファベットの「M」の字が刻み込まれているのが見つかる。 7月26日、公園内のポケモンGOのポケストップ及びジムの削除、並びにポケモンの出現停止をナイアンティック社に要請、後に全て削除された。 2017年4月、公園内の韓国人犠牲者慰霊碑の北側に植樹された、同国の国花であるムクゲの木のうち、3本が損壊されていたことが明らかになった。 2017年5月21日、広島弁護士会のウェブサイトが一時的に「5月22日に原爆ドームを爆破する」などの内容に改竄され、広島県警が原爆ドーム周辺の警戒に当たる事態となった。 2021年11月28日、原爆供養塔に設置されている献花用の石製の鉢がセメント様のもので細工され、花や水などが入れられなくなっているのが見つかる。
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