市販マシン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:58 UTC 版)
「ヤマハ・YZR500」の記事における「市販マシン」の解説
「ヤマハ・TZ」も参照 ヤマハでは前年のYZRのスペックを反映した競技専門車TZをプライベートライダー向けに1980年から1983年に発売しており、YZR500の市販車とも言えるTZ500が存在していた(価格は1983年型で280万円)。よもやま話ではあるが、1979年までライバルのスズキ・RGシリーズで戦っていたバリー・シーンが、80年からヤマハTZ500でプライベーターとなって参戦することになった。この時バリーは、ケニーのYZRがストレートで速度が伸びるのはケニーだけにスペシャルバージョンが存在すると思っていた。しかし、ケニーのYZRも各部の寸法から素材も一部でマグネシウムなどを使用していた以外はYZRとTZの差は無いという事実に驚かされたそうだ。80年シーズンの1年間は、すでにプライベーターとして参戦することが決定していた上にバリーに個人スポンサーとして付いていた赤井電機(日本の音響機器メーカー)が出す資金も決まっていたことからTZでの参戦となったが、ホイールがTZ標準品のスポークタイプからアルミホイールに変更されたりするなど、ヤマハ側の予算オーバーにならない範囲でサポートしていたとのこと。 翌81年シーズンからは直列4気筒の両端外側気筒を後方排気にして排気効率を高めた0W53が与えられたことを始めとして、フランスGPからはケニーと同スペックのスクエア4YZRが与えられるなど、準ファクトリー待遇で「ヤマハのバリー」として82シーズン一杯まで戦うこととなった。また、81年シーズン当初バリーに与えられていた両端外側気筒が後方排気化された0W53(WGPでの実績あるライダーだけに販売という形が取られていた)は、ケニーが80年シーズンの後半数レースで使用したマシン(0W48R)と同じものだった。しかしながら、こうした市販マシンは高価になってしまうためとライダーの実績を選ぶなどもしていたために手間がかかるものだった。しかし、このままファクトリーバイクだけが勝つ状況では、再び60年代の大幅なルール改正があるかも知れなかった。そんな中、市販マシンとしてはスズキ・RGシリーズがプライベート参戦するライダーに門戸を広げていた。また、83年からはホンダが82年型NS500をそっくりそのままというくらいのスペックで市販RS500をリリース。(実はファクトリーマシンはクランクケースがマグネシウム製なのに対し、市販RS500はアルミ製という違いがある) そのため、GPを戦うプライベーターはこぞって飛びついた。つまりエントラントに広く門戸を広げたことで、60年代に締め出されたような憂き目を見ることは回避されたのである。 一方のヤマハは市販マシンの市場では、82年型TZ(電気式YPVS装備の直列4気筒エンジンで旧態依然としたものだった)の販売のみだったので遅れをとっていた。そんな流れが定着していた中、90年代に入ってからは1年遅れの型式のV4YZRをエンジンやフレームも含めたリースを開始。90年代中頃にはハリスヤマハやロックヤマハといったヨーロッパのフレームビルダーの手によるれっきとしたファクトリーマシンがスターティンググリッドを埋めることとなった。このような流れが形成されていく中で、大排気量2ストロークマシンが地球環境に与える影響が揶揄されるようになり、現在の4ストローク1000ccで争われるMotoGP時代に移行していったのである。
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