尚寧の冊封を巡ってとは? わかりやすく解説

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尚寧の冊封を巡って

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 02:49 UTC 版)

琉球の朝貢と冊封の歴史」の記事における「尚寧の冊封を巡って」の解説

琉球国王冊封を頒封とすべきか、領封とすべきか、明の朝廷内で最も紛糾したのが尚寧冊封であった1589年王位継承した尚寧は、1595年に請封を行った豊臣秀吉による朝鮮出兵への協力強要などで琉球国内は混乱しており、王位継承しばらくの間の請封は困難であった尚寧の請封が遅れる中、明の国内では冊封急いで明の後ろ盾として琉球盛り立て日本対す備えとすべきという意見出されていた。この請封を受けて福建責任者は、倭寇活動が活発であることを理由に、福建尚寧琉球国王封じる詔書琉球からの使者手渡す領封か、さもなければこれまで文官冊封使として派遣していたのを武官派遣変えてはどうかとの意見を出す。明の朝廷内で議論がなされ、万暦帝は領封を行うと決定した琉球側は万暦帝の領封の決定納得しなかった。慶長の役のあおりを受けてしばらく尚寧冊封問題進展しなかったが、事態落ち着き取り戻しつつあった1600年琉球使者送りこれまで通り琉球冊封使送って冊封儀式執り行う、頒封の実現希望した。ここで万暦帝1595年の領封決定覆し武官冊封使として派遣する決定下す万暦帝武官派遣決定意図は、日本側との戦争状態が終結して間もない時点での安全面考慮したからと考えられる。 しかし琉球側は1601年改め使者送って冊封使として文官派遣求めた琉球としてはこれまで武官冊封使として来琉した前例無く、また琉球側としては武官派遣希望しておらず、今まで通り文官派遣求めた加えて1600年派遣した使者は、武官派遣という回答を琉球持ち帰ってきたことについて罪に問うことにしたと報告した琉球側が武官派遣忌避したのは、武官派遣は明が琉球国王罪に問うためであると受け取られることを恐れたからとされている。後述のように尚寧日本情勢明に通報し続けていて、明に対す服従姿勢は崩さなかった反面秀吉強要屈して要求半量とはいえ兵糧米供出していた。いわば日明双方配慮した外交余儀なくされていたわけで、琉球国内で国王罪に問うために明が武官派遣してきたと受け取られる素地十分にあった。 万暦帝琉球側の要請認めて文官冊封使として派遣することを決定し1603年には正式に夏子陽が冊封使任命された。結局万暦帝決定3度変更されたことになる。しかし文官派遣との決定下り実際に冊封使任命された後も意見対立は尾を引き、武官派遣論、そして領封とすべきとの意見蒸し返された。さすがに皇帝の命を受けて文官冊封使任命された後に変更をすれば、問題がますます大きくなり明の国威に傷がつきかねないとの意見通り1606年冊封使夏子陽が琉球向かい尚寧冊封儀式執り行った王位継承17年後のことであり、これは王位継承18年後である1866年冊封された尚泰次いで時間かかった冊封となった。 この万暦帝首尾一貫しない対応について廷臣の中から批判の声上がった結局万暦帝は、尚寧以降琉球国王冊封については、福建詔書琉球からの使者手渡す領封を行うとの判断示した。つまり万暦帝は4回、判断変更したことになる。明側としては海難恐れ倭寇危険に加え冊封使乗船する船の建造等、頒封の負担大きかったことが領封論の根本にあった。しかしこれまでの頒封からの変更伝統反するとの意見強く緊張状態続いていた対日関係を考えると、頒封を強く望む琉球側の要望応えることによって琉球国内の動揺抑える必要性高かった。また冊封に伴い琉球派遣される使節団貿易活動による利潤無視できなかった。 一方琉球側は尚元冊封時の1560年には領封を求めたにも関わらず、約40年後の尚寧冊封時は執拗に頒封を要請した琉球側の頒封へのこだわりは、明側と同じく伝統に従うべきであるとの考え方強かったこと、琉球国王権威高めるために、冊封使による冊封儀式大きな味がある判断していたことが挙げられる。また尚寧冊封時にはこれまで以上に明からの冊封使迎え必要性高かったとの指摘もある。尚寧治世日本中でも島津氏脅威増大しており、琉球王府にとって中国との関係性象徴である冊封重要性増していたのである14世紀以降琉球にとっては貿易面を中心に朝貢によるメリット享受冊封を受ける最も大きな意味であったものが、琉球王国体制危機迎え国内動揺するうになる16世紀後半以降、自らの体制保障として冊封されることを重要視するようになっていく。この冊封琉球王国体制保障結びつける考え方は、17世紀初頭薩摩藩による琉球侵攻後、ますますはっきりとしていく。

※この「尚寧の冊封を巡って」の解説は、「琉球の朝貢と冊封の歴史」の解説の一部です。
「尚寧の冊封を巡って」を含む「琉球の朝貢と冊封の歴史」の記事については、「琉球の朝貢と冊封の歴史」の概要を参照ください。

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