将軍誘拐の企てとは? わかりやすく解説

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将軍誘拐の企て

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 05:40 UTC 版)

アブドゥル・ハリス・ナスティオン」の記事における「将軍誘拐の企て」の解説

1965年10月1日早朝、「9月30日運動」と自称する部隊が、ナスティオンを含む7人の反共将軍拉致する動き出たその日の朝、ナスティオンの妻は家のドアこじ開けられる音を聞いた何事かと不審思って、ナスティオン夫人ベッドから出て調べようとした。寝室ドアが開くと、一人兵士が銃を発砲しようと構えたのを見た。すぐにドア閉めて、ナスティオンに逃げよう言った。自分でも確認しようとしたナスティオンがドア開けると、兵士発砲したかろうじて銃弾から逃れたナスティオンはドア閉め、妻に押し出されるようにして寝室の窓から逃れた。ナスティオンはたまた隣人だったイラク大使宅に逃げ込み、その庭の中に隠れた。 ナスティオン宅では、9月30日運動側の部隊がナスティオン本人くまなく探し始めたので、家中パニックになった混乱が続く中で、ナスティオンの娘と妹が撃たれた。妹の方は後に回復したが、娘のアデ・スルヤニは致命傷受けた結局兵たちは、ナスティオンの副官であるピエール・テンデアン中尉拘束して去っていった。テンデアンは暗闇の中でナスティオンに間違えられ拉致されのである。 ナスティオンは隣人宅の庭に隠れ続け午前6時負傷した足首引きずりながら自宅戻った。ナスティオンは副官たちに、国防治安省に自分連れて行くように命じた。そちらの方が自宅より安全だ考えた車中では床にうずくまっていた。ナスティオンは KOSTRAD 本部にいるスハルト伝言送り自分生きていて安全であることを伝えたスハルト陸軍指揮を執っていることを知って、ナスティオンは大統領居場所確認するようにと、スハルト命令出した同時に海軍司令官マルタディナタ、海兵隊司令官ハルトノ、警察長官スシプト・ユドディハルジョにも連絡取り首都ジャカルタ通じすべての道路封鎖し首都の安全を確保するよう、命令出した同様の命令空軍出されなかったのは、空軍司令官オマール・ダニが9月30日運動の同調者見られていたためだったスハルトはすぐにこれらの命令彼の首都治安作戦計画取り入れた午後2時頃、9月30日運動側が革命評議会設立発表すると、ナスティオンは別の命令スハルト、マルタディナタ、ユドディハルジョに下した。その命令の中で、ナスティオンはスカルノ誘拐され9月30日運動本部のあるハリム空軍基地に連れて行かれたに違いない、と語っている。そこでナスティオンは国軍対し大統領救出ジャカルタ治安確保命じ、そして(最も重要なことだが)スハルト作戦の全指揮権与えた作戦実行スハルト取りかかり始めた頃、ハリム空軍基地にいるスカルノからメッセージ届いたスカルノはプラノト・レクソサムドラ少将陸軍司令官任命することを決心し、プラノトにハリム空軍基地まで出頭するよう求めたスハルトはプラノトにスカルノ元に行くことを許さなかったが、彼はまた、スカルノがプラノトの呼び出し決し諦めないであろうと先を読んでいた。そこでスハルトは、交渉力強化するため、ナスティオンに KOSTRAD 本部来てくれるよう頼んだ。 ナスティオンが午後6時頃にKOSTRAD 本部到着したちょうどその頃に、スハルト9月30日運動からジャカルタ治安を守るためにサルウォ・エディ・ウィボウォ指揮部隊派遣するところだった。そこでナスティオンはやっと負傷した足首応急処置受けたジャカルタの安全がいったん確保されると、マルタディナタがKOSTRAD 本部にやって来て、プラノトを陸軍司令官任命するという大統領令コピー見せた。これを見てスハルトはマルタディナタとナスティオンを一室招き入れ状況について話し合った。 ナスティオンはスカルノどのようにしてプラノトを指名したのかをマルタディナタにたずねた。マルタディナタが答えたのは、午後ハリム空軍基地で、自分とユドディハルジョ、ダニスカルノ協議しヤニ亡き今、誰が陸軍司令官になるべきかを話し合った。そこでプラノトを陸軍司令官にすると決定されたのだという。これを聞いてナスティオンは、スカルノ任命受け入れられない、その任命知らせスハルト作戦開始したときに届いたからだ、と言った。さらにナスティオンは、プラノトをハリム空軍基地出頭させなかったスハルト決定支持する付け加えた。それからナスティオンとスハルトはプラノトを招き入れスハルトクーデタ鎮圧終えるまで陸軍司令官任命受けないように説得した。 サルウォ・エディの部隊によってジャカルタ治安回復されるのに時間はかからなかった。次にスハルトハリム空軍基地目を向け空軍基地への攻撃準備取りかかったスハルト支援するためにナスティオンは海軍警察軍にも、スハルト鎮圧作戦支援するよう命じた空軍に対してもナスティオンは命令出し、彼らがダニ命令に従わなくても、命令不服従の罪で訴追されことはないと呼びかけた。公式には10月2日午前2時、ハリム空軍基地奪還され、9月30日運動鎮圧された。

※この「将軍誘拐の企て」の解説は、「アブドゥル・ハリス・ナスティオン」の解説の一部です。
「将軍誘拐の企て」を含む「アブドゥル・ハリス・ナスティオン」の記事については、「アブドゥル・ハリス・ナスティオン」の概要を参照ください。

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