将軍達による計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 16:38 UTC 版)
「1963年ベトナム共和国の軍事クーデター」の記事における「将軍達による計画」の解説
サーロイ寺襲撃事件(英語版)を受けて、上級将校達は真面目に彼ら独自の計画を始めたが、単に曖昧な計画しかもっていなかった。名目上は高い地位に居たが宮殿によって指揮権の無い役職に追い遣られていたチャン・ヴァン・ドン(英語版)将軍は、共闘する事を望んでいたマウによって探し出された。マウは後にクーデター計画の中で上位の将軍に同行し、ズオン・バン・ミンは新兵募集活動に従事した。高い地位にあったにも拘わらず、ミンはジエム大統領に気に入られず大統領軍事顧問として仕え、無意味なデスクワークを遣らされて戦場に部下もおらず兵士への接触も許されていなかった。マウはミンがグエン・カーン将軍の協力を得るのを助け、彼は中部高原を見ていた第2軍団(英語版)に命令し、グエン・ヴァン・テュー大佐は首都サイゴン外側の直ぐ近くのビエンホアに駐留していた第5師団(英語版)に命令を出した。チューによると、マウとミンはより強く反共主義政府を確立しジエムを御飾り大統領として存続させる事を約束していたという。
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