将軍達のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 01:18 UTC 版)
「ブロンベルク罷免事件」の記事における「将軍達のその後」の解説
罷免されたフリッチュには軍法会議が待っていたが、元がでっちあげ事件であったため、無罪放免された。しかし、もはやフリッチュはヒトラーにとっては無用の存在であり、復職することはなかった。ドイツ軍人が時に生命よりも大事にする「名誉」を失ったフリッチュは、あくまでも戦場で死ぬことを求めた。その後、フリッチュはポーランド戦に際して、上級大将でありながら第12砲兵連隊の名誉連隊長として出征。ワルシャワ近郊で無謀な突撃を敢行し、重傷を負うが、手当を拒否。ほとんど自殺のような形で戦死した。 また、ブロンベルクも現役復帰を望んだが、ヒトラーは妻と離婚しなければ認めないと約束を反故にして拒否し、大戦中を不遇のまま過ごした。彼は後にニュルンベルク裁判で証人として出廷しているが、1946年に癌で死去した。
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