宗教儀礼と泣くこと
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 07:52 UTC 版)
多くの社会において泣くことはしばしば、人間的弱さ、情緒不安定、苦痛、ごまかし、死別などと結び付けて理解される傾向があり、したがって女性的なもの、ないしは子供っぽいものと理解されてきた。こうした理解は、泣く人と泣かれる対象の間の権力関係に結びつくこともある。葬礼において多くの人々から泣かれることは名誉であるとされ、世界各地には儀礼において泣くことを専門とする職業も数多く記録がある。 韓国をはじめとする東アジアでは泣き女という職業が知られている。韓国は泣く文化が根強く定着しているとしばしば考えられているが、朝鮮の儒教社会において、男性の泣きや笑い、怒りといった感情の発露は慎むべきものとされていた。泣き女のような風習が商売として成立したのも、こうしたジェンダー的規範による代哭が行われていたからである。 台湾総督府に勤めた鈴木清一郎は、台湾での葬送儀礼について記述している。台湾では、人の死前には決して泣かず、死後競って泣き出す慣習がある。泣く際には惜別の辞が添えられることが普通であり、この辞は泣喃(ハウラム)と呼ばれている。ここでは男性も泣くことを拒まれないが、女性が泣くものという印象が強い。これには以下のような伝説が知られている。周王朝の末期、斉の国王に仕えた范𣏌梁が魯に攻め入って戦死した際、斉国王が激怒して魯を攻撃すると、魯は謝罪して貢物とともにその亡骸を返した。范𣏌梁の遺体が妻・孟姜の元に届けられると孟姜は号哭してそれを迎え、国王や市中の者にも感動を与えて、以後人の死に際しては、号哭することが習慣となったのである。 中東のイスラム圏でも葬礼や結婚式、割礼式において泣き女の習俗が残っているが、これは古くイシス信仰に起源をさかのぼるとされる。また、旧約聖書のエレミヤ書には以下のような記述がある。 万軍の主はこう言われる、「よく考えて、泣き女を呼べ。また人をつかわして巧みな女を招け。彼らに急いでこさせ、われわれのために泣き悲しませて、われわれの目に涙をこぼさせ、まぶたから水をあふれさせよ。シオンから悲しみの声が聞える。それは言う、『ああ、われわれは滅ぼされ、いたく、はずかしめられている。われわれはその地を去り、彼らがわれわれのすみかをこわしたからだ』」。――s:エレミヤ書(口語訳)#9:17 十二イマーム派(ムハンマド以後の12人のイマームを信奉するシーア派イスラム教徒)では、泣くことを殉教した指導者たちに対する重要な責務であるとみなしている。イマームの1人であるフサインを真に愛する者ならば、彼が味わった苦しみや迫害を感じることができる、彼の刻苦の大きさゆえに信徒は涙と悲しみに襲われると彼らは信じている。信ぜられるものの痛みはそのまま信ずるものの痛みであり、フサインのために泣くことは真に愛することの印ないし表現である。イマームたちはとりわけフサインのために泣くことを推奨し、この行為の報いについて語ってきた。 正教会とカトリック教会では、涙は真の悔悛のしるしであり、多くの場合望ましいこととみなされている。真の悔悛の涙は、悔い改める者の洗礼を想起させるという点で、神聖なもの、罪を赦すのに役立つものと考えられている。 一方、葬礼において泣くことを良しとしない文化もある。例えば生と死を截然と区別するマダガスカルのヴェズの社会では、生者との愛着を断って祖霊の災厄を防ぐために、葬儀における親族の涙を断ち切る工夫が行われている。
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