安西家
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安西 千吉(あんざい せんきち) 演 - 中村梅雀 通称千吉博士。終戦直後焼け跡の大阪で、寒空の下一杯のラーメンを求めて闇市の屋台に列を成す人々の姿を見て、即席ラーメンの開発を志す。家に転がり込んだ秋子の協力も得て「ニコニコめん」を開発、大ヒットする。「人類は麺類」が口癖でパンは嫌い。モデルは日清食品創業者の安藤百福。 安西 節子(あんざい せつこ) 演 - 堀ちえみ 千吉の妻、二児の母。献身的に夫の発明を支える。モデルは日清食品創業者である安藤百福の妻の安藤仁子。
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安西家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:14 UTC 版)
安西家は3代前まで遡れば、一般の庶民であった。この家族を語るときは必ず、戦前の新興財閥であった森コンツェルンとの関係を抜きには語れない。安西家と森家の先祖は千葉県興津(現勝浦市)の在で、道路1本へだてた隣同士だった。 後に安西正夫と森矗昶の長女・満江が結婚して親族となるが、その祖父にあたる安西八郎兵衛、森為吉は、勝浦の貧しい一漁師にすぎなかった。明治の中頃、この地方の漁師たちは海岸に流れつく海草の一種カジメを拾い集めるのが割りのいい仕事だった。焼いてヨードと塩化カリをとった。ヨードは傷病兵の治療に使われ、塩化カリは火薬に必要だったため、日清、日露の両戦争でその需要が飛躍的に伸びた。これに目をつけた安西、森の両家は、群小の「拾い屋」をまとめて総房水産株式会社を興した。社長に森為吉、専務に安西直一、常務に森矗昶という布陣であった。両家はいわば、隣同士の関係から共同事業主としての関係へと運命共同体として結びついた。 祖父・八郎兵衛(漁師) 父・直一(実業家、政治家・千葉県議会議長)明治5年(1872年)12月生 - 昭和28年(1953年)9月7日没 母・まつ(千葉県、佐藤三之助の長女)明治11年(1878年)1月生 - 昭和45年(1972年)2月7日没 弟・正夫(実業家・昭和電工会長)明治37年(1904年)11月生 - 昭和47年(1972年)4月没 同妻・満江(森コンツェルン総帥森矗昶の長女) 妻・敏子(実業家・元帝国コークス社長渡辺扶の長女、東京ガス会長渡辺宏の姉) 長男・一郎(実業家・昭和アルミニウム社長)同妻・泰子(東京大学名誉教授、元癌研究会癌研究所所長吉田富三の長女) 長女・和子(鉄道官僚、政治家佐藤栄作首相の次男佐藤信二の妻) 二男・邦夫(実業家・東京ガス相談役)同妻・邦子(実業家・日本交通社長川鍋秋蔵の三女) 三男・直久 四男・直昭 五男・直哉
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