安保の中の「省」昇格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 01:49 UTC 版)
内政省は実現しなかったものの、自治庁の省昇格の声が高まり、「内政省」「地方省」などの案が出され、1960年(昭和35年)7月1日に、国家消防庁を統合して自治省(初代自治大臣は石原幹市郎)に昇格し、悲願の省昇格を果たした。自治省の設立には、社会党が「翼賛体制の中枢であった内務省の復活を画策している」として反対しており、実現の見通しが立っていなかったが、当時、国会は60年安保闘争で大混乱に陥っており、世間の目が安保改定に集中していることが幸いして、自治省設置法が成立した。元内務官僚の荻田保(地方財務協会会長や公営企業金融公庫総裁を歴任)は「内務省の役人だった者としては、〝庁〟ではあまりにも情けなかった。〝省〟への昇格は地方局出身者全員の悲願だった。その先頭に立ったのが、鈴木俊一、小林与三次、奥野誠亮さんら、俗に〝自治OB三羽烏〟といわれる人々でした。しかも、幸運だったことは、昭和35年という年。その年は安保騒動で国が大揺れに揺れたときで、そのドサクサにまぎれて自治省成立の法案を通過させたんです。あれが平常時だったら通過しただろうか……」と、述懐している。 自治庁の省昇格について、政府は「地方団体の行財政能力の充実は政府の重要な任務であるのに、これを指導育成する自治庁は総理府の一局にすぎず、自治庁長官は国務大臣でありながら法律、政令案などについて開示請求権がなく、省令の制定権も、予算の要求、執行上の独立の権限も認められていない。省に昇格することによって政府内における自治庁の地位が向上し、地方自治によい結果をもたらすことになる、いわば「番頭の政治から主人の政治になる」から、これまでのように予算編成のたびに地方交付税率の引き上げや地方税減税などで大蔵省に押しまくられなくともすむ」としたほか、「内務省の復活」との非難には、「昔の内務省は警察権をもっていたうえ、知事はじめ地方官吏の任命権、地方団体に対する直接的な指導権をもっていたが、今日警察権は公安委員会制度を基盤としており、また知事公選も存続しているから、その非難は全く思いすごしだ」としていた。 朝日新聞は自治庁の省昇格について、「率直にいって、今度の省昇格案を推進した力は、自治庁の役人の劣等感と、自民党内にいる旧内務官僚の郷愁とであった。いわば「もう戦後ではない」を機構の上にもちこみ、戦前の一等官僚としてこの自負心をとりもどすことに主眼があった、といっても過言ではない。従って、この改正案そのものの中では具体的に権限強化をとくに考えていないし、実際問題としても、いまとなっては警察庁にせよ、建設省にせよ、経済企画庁にせよ、部内人事の都合などから自治庁との合併はまっぴらとの態度をとっている。その限りでは昔なみの内務省は実現不可能の状態となっている。だから、今度自治庁が省に昇格しても、そのことだけで「内務省の再現」とさわぐのは、やや観念的だともいえるだろう」と指摘していた。
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