学説・研究内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:14 UTC 版)
その学問上の業績は、全ての法学に及ぶが、特に刑法における主観主義・新派刑法学の大家として木村龜二とともに知られている。民法学の泰斗我妻栄の師の一人でもあり、牧野の自由法学、法規の社会的作用に関する見解は、我妻理論・体系に大いなる影響を与えている。 牧野の刑法学説の出発点は、主著『日本刑法』の冒頭文の「犯罪はこれ社会の余弊なり」が示すように、犯罪を社会的病害として捉える点にある。その上で、リスト、フェリーの議論を基礎に、刑罰論として目的刑論を採用して、犯罪に対する社会の保全を刑罰の目的とし、そのために刑罰は科学的方法に基づき犯罪人の反社会的性格を矯正するものでなければならないとした(特別予防論・教育刑論)。 上記のような刑罰論を前提に、犯罪論においては、犯罪行為を行為者の反社会的性格の徴表と位置づけ、その現実的な意味を否定する犯罪徴表説を主張した。実行の着手における主観説や共犯独立性説などの見解は、この主張の帰結として論じられている。 信義誠実の原則・公序良俗に関する研究でも知られ、作為義務または不作為の違法性に関しても著述を残している。 1871年のドイツ刑法典を参考にし、ドイツの近代学派が主張した新しい刑事政策的思想を取り入れた現行刑法が1907年に成立すると、牧野は、独自の法律進化論の立場から、刑法は旧派刑法理論から新派刑法理論に進化していくものであると主張し、旧派に立つ大場茂馬と激しく対立した。 もっとも、牧野の刑法理論は、同じ主観主義刑法理論でも富井政章の社会防衛論に基づく厳罰的刑法理論と異なり、刑事政策としては、執行猶予の積極的活用を提言するとともに、累犯加重の刑罰を強化して社会防衛を図りつつも、行為者の再犯可能性に応じた実践的な教育を施して再社会化を促す特別予防論・教育刑論に基づき、科学的・人道主義的観点を導入した行刑改革を必要を説き、そのような教育のための反社会的性格の把握という見地から、犯罪論において、主観的な要素を重視するというものであり、比較法的にも諸外国にもみられないほど主観主義的傾向を徹底したものであった。 自らの弟子である小野清一郎が後期旧派の立場に立つとこれと激しく対立し、論争を繰り広げた。 戦後、牧野の刑法理論は国家主義との親和性を批判される一方、旧派の団藤重光らの学説が新憲法の要請に基づく自由主義の立場に合致するものとして学界の絶大な支持を集め、牧野を含む新派は退潮に向かう。 その一方、執行猶予の積極的活用などの牧野の主張は刑事制度に影響を色濃く残しており、その学説の歴史的・現代的意義は依然大きいといえる。 また、刑事法以外にも次のような業績を残している。 1924年「最後の一人の生存権」と題する論稿にて、当時のドイツのヴァイマル憲法に謳われた生存権を紹介した。 民法177条の「第三者」に何らかの主観的な制限をつけるべきかという問題において、単なる悪意者は含まれないが、背信的悪意者は排除されるとの背信的悪意者排除説を提唱。
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