婦人部隊の制服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:15 UTC 版)
「軍服 (第二次世界大戦の米陸軍)」の記事における「婦人部隊の制服」の解説
第二次世界大戦開戦当初、アメリカ軍は看護以外の分野の女性の軍務への関与は拒否していたが、総力戦体制構築に向けて1942年5月には婦人補助部隊(WAAC)が創設された。彼女らの職務は当初事務仕事のみが想定されていたが、戦争が進むにつれて医療補助、自動車整備、陸軍航空軍では航空交通管制官から飛行機整備までと職務範囲が広がっていった。そして1943年7月1日に婦人部隊(WAC)へ改組、陸軍の補助機関から正規機関となった。米軍ではソ連赤軍のように女性が前線任務に就くようなことはなかったが、後方任務には幅広く動員された。 婦人部隊の通常制服は男性の通常制服と似た濃いOD色の開襟のネクタイ着用の上衣とスカートである。上衣の腰ポケットは切り込みポケット、胸ポケットの蓋は飾りである。ボタンは将校は金メッキされた真鍮製だが、下士官兵はOD色のプラスチックだった。しかし1944年夏以降は下士官兵も金色のボタン着用が認められた。襟の徽章は基本的に男性軍人と同じである。将校の場合は両上襟にUS記章、両下襟には兵科章(看護婦部隊を示すNの字と翼を組みわせた記章や、婦人部隊を示す女神アテーナーを象った記章)を付けた。下士官兵の場合は右上襟にはUSの文字の入ったメダル型記章、左上襟に兵科章が入る。 婦人部隊は「ホビーハット」と呼ばれる独自の制帽をかぶった。婦人補助部隊時代の帽子の国章は飾りのついていない簡素な白頭鷲だったが、婦人部隊になった後は男性の制帽の国章と同じになった。後には男性と同じ制帽を被るようにもなった。 スカートは将校はカーキ色の物が認められたが、下士官兵は上衣と同色のスカートが支給された。 看護婦部隊には看護婦服があり、1943年には作業用の女性用HBT作業服、フライトナース用のブルーグレーのウール製勤務服F1ジャケットなども制定された。 なお婦人部隊は非戦闘員であるため、基本的に武器は携帯しない。例外的に戦地を飛ぶフライトナースと重要文書を運ぶ伝書使のみ自衛用の武器の支給が認められていた。 婦人部隊の通常制服。帽子は「ホビーハット」。上襟には将校を示すUS記章、下襟は看護婦部隊章(ルクセンブルク・国立軍事史博物館の展示物) 婦人部隊の看護婦服(左・中央)と通常制服(右)とHBT作業服(右端見切れ)(マサチューセッツ州・フォート・デベンズ基地博物館の展示物) 婦人部隊下士官兵の通常制服が描かれた募集ポスター。「ホビーハット」を被る。右上襟は下士官兵を示すUSの文字が入ったメダル型記章、左上襟は婦人部隊を示すアテーナーを象ったメダル型記章。 HBT作業服の婦人部隊員を描いた募集ポスター。看護婦部隊章を付けている
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