婦人部屋棟(王の広間)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 16:40 UTC 版)
「ハイデルベルク城」の記事における「婦人部屋棟(王の広間)」の解説
婦人部屋棟(Frauenzimmerbau)は、女官の居室があったことから名付けられた。現在は王の広間(Königssaal)と呼ばれる。 婦人部屋棟は1階部分だけが遺されている。この建物は16世紀前半にルートヴィヒ5世によって建設された。この建物の上階におそらく女官達の部屋があったとされる。1階には王の広間があり、様々な種類の式典に用いられた。王の広間は、長さ 34.56 m、幅 16.70 m、高さ 7.40 m であった。2階と3階は、木組み建築で、ファサードに多くの張り出し部を持つ装飾的なものであった。17世紀には中庭側のファサードに絵が描かれ、この建物の外観をより美しいものにした。 ガラスの広間棟とオットハインリヒ館にそれぞれ祝祭広間が完成した後、王の広間は社交場としての機能を失った。この広間では、悪天候の際に馬上槍試合や集会が催され、あるいは祝祭時には召使い達の食事の場となった。 1689年に広間は完全に焼け落ち、その後は樽職人の作業所となり、「バントハウス(箍屋)」という名前が与えられた。樽職人達は雨水が樽に落ちてくることに対して苦情を述べ、カール・テオドールが現在の仮屋根を造った。現在この建物は主に「王の広間」の名前で知られているが、元々「王の広間」は婦人部屋棟の1階部分を占めていたに過ぎない。1930年代に1階部分は修復され、これ以降ハイデルベルク市はこの広間を祝祭ホールとして様々な催しに用いている。
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