女性に対する椓刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 18:50 UTC 版)
『礼記』に「女子は閉づ」とあり、これをファラオ式女子割礼のように陰部を閉鎖すると解釈するか、単に本人を幽閉すると解釈するかで意見が分かれている。鄭玄は「宮とは丈夫は則ち其の勢を割ち女子は宮中に閉す。今の官なる男女の若き也」(『周礼』秋宮司刑鄭玄注)と述べ、班固は「宮とは女子淫すれば執りて宮中に置き出づるを得ざらしむなり。丈夫淫すればその勢を割去するなり(『白虎通』五刑)といっているように、漢代では幽閉説のほうが有力だったが、実際に去勢された事例も若干数あったようである。この両説は必ずしも対立するものでなく、椓刑にはもともと起源を異にする二つの流れがあり、それが混同されて一つになったため女子の扱いについて異なる二つの伝承が残されたとも考えられている。陰部閉鎖説を支持した小島祐馬は、古代中国の刑罰を「族外制裁」と「族内制裁」の二系統が統合されてできていたとして、陰刑・黥刑・劓刑・臏刑のような身体刑は、異民族や他部族への「族外制裁」に源流しているとした。これは他部族(他氏族)との抗争で得られた捕虜を奴隷にする際になされるもので、古代オリエントの戦争捕虜の睾丸を残して陰茎だけを切断して奴隷にした風習と同系の文化である。これとはまったく別の説では、宮刑は部族内部の成員への制裁であって、睾丸を除去して生殖能力を奪ってしまえば家系が絶える事になり、先祖に対する祭祀を人倫の最重要項目に置く儒教においては、宗族共同体からの追放刑として認識されていたとの説もあり、この説の場合、第一に、性交という行為自体を不可能にすることが目的でなく授精能力を奪って子孫を絶つことが目的であるから、古くは睾丸の摘出だけで陰茎は残された可能性がありうる(上述の女子幽閉説をとる鄭玄や班固の見解では「勢を割く」「勢を割去す」とあり去勢すなわち陰茎でなく睾丸を問題にしているようでもある)。第二に、すでに子や孫がいる場合は彼らも処刑しなければ意味がない。第三に、女性は「宗族(父系男子共同体)」の所有物とされていたとし、だから「宗族共同体からの追放刑」が女子の場合は幽閉されることになるのだという。これは本来の形では奴隷として他氏族(他部族)の預かりとなって出身氏族から分離されるのか、逆に追放の結果他氏族の所有奴隷になることを避けるため出身氏族が幽閉するのか不明だが、当然ながら、後には国家所有の奴隷すなわち後宮に監禁される女性の起源ということになる。が、皇后以下の皇帝の妻女たちの起源を犯罪を犯して氏族から追放された女性だとする見解はほとんど支持されていない。
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