女優引退後
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1979年(昭和54年)、木下監督の『衝動殺人 息子よ』に出演予定であった八千草薫が降板し、代役を依頼され出演する。久々の映画出演に製作発表記者会見ではこれで引退かと質問され、「とっくに引退したつもりだったんですけどねえ」と答えている。製作中の後日、女優引退を発表、これが最後の映画出演となった。 引退後は主にエッセイストとして活動したが、松山監督の映画『典子は、今』に助監督として参加したり、1994年(平成6年)放送のテレビドラマ『忍ばずの女』で脚本を書いたりもしている。2003年(平成15年)には映画『葉っぱのフレディ』で朗読を担当した。 2010年(平成22年)12月28日午前5時28分、肺がんにより東京都渋谷区の病院で死去。86歳没。
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女優引退後
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2000年(平成12年)に大阪松竹座で上演された朝日放送ミュージカル『火の鳥』の出演を、体調不良を理由に辞退。その後、東宝芸能を退社し、女優業を引退した。 その後、公には消息不明の状態が続いたが、2010年9月25日のイベント『大怪獣サミット12』において、音声のみであるが小高本人のメッセージが流れた。2012年にはゴジラファンに向けたインタビューにも答えており、その模様はアスキーメディアワークスから発行された『平成ゴジラパーフェクション』に記載された。 2015年3月発売、富山省吾『ゴジラのマネジメント プロデューサーとスタッフ25人の証言』(KADOKAWA)のp192~197では、著者の富山との対談が掲載された(近影あり)。これによると、小高は女優引退時、高井英幸・東宝芸能社長(当時)から、「僕は娘たちにいろんなバイトを学生時代にさせてる」という話を聞き、「私、辞めたらいろんなバイトしよう」と思った小高は、パソコン、事務、イタリアンレストラン、化粧品販売など多様な仕事を経験した。 また、俳優・脚本家・演出家の宇賀神明広と結婚、2012年8月からは彼が主宰する演劇ユニット「ウ学級」に役者や演出助手として参加。小高は「他の人と順番が逆ですけど、14歳からレールが敷かれた道を歩いてたけど、今はそれを自分で切り開いていく。家庭もあるし、楽しんでます」とのこと。 2015年12月に発売された『ゴジラvsビオランテ コンプリーション』(ホビージャパン刊)でも、インタビュー(近影あり)に応じた。 2019年10月に京都みなみ会館で開催された「超大怪獣大特撮大全集R 小高恵美映画祭」に参加。 2020年12月19日にNHK BSプレミアムで放送した「ゴジラとヒロイン」にVTRインタビューで出演した。
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