佐々木清野
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佐々木 清野(ささき きよの、1906年〈明治39年〉5月27日 - 没年不明)は、大正・昭和戦前期の日本の映画女優。群馬県藤岡市出身。
声優の野沢雅子は姪[1]。女優引退後、佐々木は子役時代の野沢のマネージャーをしていたとされる[1]。
略歴
1906年(明治39年)群馬県多野郡藤岡町(現・藤岡市)に生まれる[2]。1924年(大正13年)、日本女子大学附属女学校を卒業し、同年松竹蒲田撮影所へ入社[2]。1927年(昭和2年)、準幹部に昇格するが、翌1928年(昭和3年)に松竹蒲田撮影所を退社する[2]。
1931年(昭和6年)、キヨノ教育映画社を設立し、教育・宣伝映画などの製作に取り組む[2]。
1939年(昭和14年)、新興キネマに入社し、数本の映画に助演したのち引退[2]。
主な出演映画
- 愛の力は雪でも溶す
- 夢の浮橋(1926)
- ヴェニスの船唄(1926)
- 夢の小判娘白浪
- チンピラ探偵
- 新婚時代
- 裸女
- 狼の血(1926)
- お照とお雪
- 深窓の美女
- 楽天家の孤児
- すね者
- 白虎隊(1927)
- 処女の死
- 毒唇
- 先生と其娘
- 月は無情
- 子に泣く
- 亭主操縦
- 呑気者
- 岡惚れ御無用
- 恋愛二人行脚
- 昭和の女
- 里吹く風
- 田舎の伊達男
- 恋の選手
- 虎徹の斬れ味
- 軍歌 戦友
- 夕空晴れて
- 久遠の母性
- 故郷の歌
脚注
外部リンク
固有名詞の分類
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