失敗原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 05:26 UTC 版)
当初、失敗の直接の原因は、十数年に1回といわれる強力な太陽フレアによる電気系統のショートと保護回路の作動とされたが、前段にて記述されているように、後に否定されている。実際の原因は、ISASにも分からないのが現状のようである。 最初のパワースイングバイにおいて、燃料逆流防止バルブが正常に開放されない動作障害が確認されている。このバルブは1992年打ち上げの「マーズ・オブザーバー」(米、失敗)が燃料の逆流によって爆発したと考えられたことで、設計後期に追加されたものだった。バルブの追加が本当に必要だったのかについて検討がなされたものの、明確な結論は出ていない。 また、小型の機体に14種類もの観測機器を積んだ基本設計そのものに無理があったとも考えられる。日本初の本格的惑星探査であるからこそ、観測機器を減らした分の重量を燃料や予備の制御装置に振り分け、信頼性を向上させるべきではなかったのか、あるいはハレー彗星を観測した「さきがけ」「すいせい」のように2機同時に打ち上げて探査自体の成功率を上げるべきだったのではないか、といった意見もある(実際、アメリカやソ連でも初期の惑星探査で2機同時に打ち上げられることが多かった)。 一方で、当時の状況では1機に多数の観測機器を積まざるをえない面もあった。宇宙科学研究所の予算ではM-Vロケットの打ち上げは1年に1回が限界で、スケジュールは数年先まで埋まっている。火星探査の機会は計画が進んでいる「のぞみ」しかなく、次の計画はいつになるかわからなかった(事実、「再び火星探査を」という声はMELOSなどその後も何度か上がっているが、2010年代初頭において正式なプロジェクトとして認められたものはない)。仮にそのような計画が認められたとしても、実際の打ち上げまで最低でも10年近くかかってしまう。そのような状況から、様々な研究団体が次々にのぞみへの観測機器の搭載を求め、それに応えた結果、小型の機体に14種類もの観測機器を積む事態になってしまったといえる。 大型のH-IIロケットを使用すればよかったという意見もある。小さなM-Vを使用したことで、探査機に過剰な小型化、軽量化を強いたのではないかという意見である。しかし、計画の始まった1992年の時点でH-IIを打ち上げていたのは宇宙開発事業団で、ISASとはまだ別組織だった。仮に組織の壁を超えて使えたとしても、H-IIの打ち上げ費用は1992年当時で1機180億 - 200億円で、予算が年200億円程度のISASがH-IIを使用するのは現実的ではなかった。 当初の計画目的を果たすことは適わなかったが、「のぞみ」の失敗からISASは数多くの深宇宙探査の教訓を得た。川口淳一郎を始めとした軌道計算チームの粘り強い軌道検討、「1ビット通信」という極限での通信確保のノウハウなど、これらの経験は小惑星探査機「はやぶさ」に生かされ、将来の惑星探査にも活用される。のぞみの失敗当時は、ぎりぎりまで運用が続けられたことに対して予算の無駄遣いだったという批判もあった。その運用実績がはやぶさに生かされるというISASの主張についても「論点のすり替え」だと批判する宇宙アナリストもいた。しかし結果としてはやぶさは通信途絶など度重なるトラブルを経ながら、いつ壊れてもおかしくないぎりぎりの状態で地球帰還を果たしており、のぞみの極限状態の運用経験は十二分に活かされる形となった。
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