天保一分銀とは? わかりやすく解説

天保一分銀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 16:30 UTC 版)

一分銀」の記事における「天保一分銀」の解説

天保一分銀 庄内一分銀 保字金(天保金)の発行後3箇月半後、保字銀(天保銀)および一分額面をもつ計数銀貨同日天保8年11月7日1837年12月4日)から鋳造始まり、同12月18日1838年1月13日)から通用開始された。これが天保一分銀(てんぽういちぶぎん)であり、後の安政一分銀発行後は古一分銀(こいちぶぎん)とも呼ばれた純銀に近いものの一両あたりの量目は9.2匁に過ぎず、保字銀の含有銀量を一両あたりに換算した15.6匁にはるかに及ばなかった。これは、幕府財政難埋め合わせるための出目改鋳利益獲得目的名目貨幣定位貨幣であった。天保一分銀、および安政一分銀共に発行高は同時期の丁銀はるかに上回るものとなり、これ以降計数銀貨流通主流となった一分銀発行以降市場における両単位貨幣流通多く一分銀占めたことから、後の開港後における小判流出元凶となった。これは文政南鐐二朱銀2枚分の量目4.0匁と比較して42.5%の大幅な減量であり、文政南鐐一朱銀4分の量目2.8匁に対しても約18%の減量である。銀量の減少引換にさらに精錬度合い上げた花降銀(はなふりぎん)を使用し勘定所役人らは表面に「花降一分銀(はなふりいちぶぎん)」と表記することを計画したが、水野忠邦反対に遭い単に「一分銀」と表記し、周囲の額に桜花20個配置することになった。この桜花デザインから、「桜」一分銀愛称となったという。 裏面の「是」字の八画および九画が交差した交叉是のもので、側面仕上げ滑らかで桜の花弁が打たれているものが天保一分銀である事が多いが、厳密に周囲桜花逆打ちのものの位置から判断することが定着している。 公儀灰吹銀および回収された旧銀から一分銀吹きたてる場合銀座の収入である分一銀(ぶいちぎん)は天保一分銀では当初鋳造高の2.5%と設定され天保14年1843年)からは1.6%に減額された。また天保14年8月17日1843年9月10日)に水野忠邦金座および銀座金銀一時止め命じ一分銀一時止めとなった鋳造開始から吹止めまでの期間の鋳造高は、『銀座御用留』の記録では15,153,802両であり、このとき吹替えにより幕府得た出目は2,430,000両としている。この一時止め天保の改革一環として水野忠邦による新たな幣制改革構想よるものとされるが、上地令公布機に各方から猛烈な反発逢い老中罷免に伴い一年後弘化元年9月13日1844年10月24日)に天保金銀鋳造再開された。 また、表面に「庄」の極印打たれたものが存在し慶應4年5月20日1868年7月9日)から同年6月15日8月3日)までの期間に鶴岡藩庄内藩)において、良質の天保一分銀を他領から流入する銀質の劣る安政一分銀区別し増歩通用させるために、鶴岡および酒田において極印打ったものとされ、庄内一分銀しょうないいちぶぎん)と呼ばれる。打印数は酒田において30万両推定)、鶴岡において13万両とされ、裏面桜花額縁右下側にY極印打ったものが酒田製、左下側のものが鶴岡製と推定されているが資料による裏付けはなされていない

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「天保一分銀」を含む「一分銀」の記事については、「一分銀」の概要を参照ください。

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