天保二朱判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/31 07:40 UTC 版)
天保二朱判(てんぽうにしゅばん)は天保3年9月3日(1832年9月26日)から鋳造が始まり同年10月24日(11月16日)より通用開始され、これは保字金銀発行前のことであり、新文字金銀の系統に属するもので、量目は新文字小判(文政小判)の1/8につくられているが、金品位は48%削減されており、甚だ低く改鋳による出目獲得を目的としている。後の天保小判に対しても含有金量で著しく劣る低品位であったが、当時銭相場が低下しつつあり少額金貨が便利とされ万延年間まで使用されたため発行高は多額に上り、小判のような本位金貨を凌駕するに至った。 吹替えにより幕府が得た出目(改鋳利益)は1,018,300両であった。 通用停止は慶応2年5月末(1866年7月11日)であり、通用期間は比較的長いものであった。
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