天保の画期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:42 UTC 版)
しかし、天保期(1830-1843年)に至ると、幕藩制的な市場構造の特質に規定され、豪農の商人および小商品生産者としての側面の成長は頭打ちとなる。 全国各地の小商品生産の発展や特産物生産の隆盛は、肥料と労賃の高騰を招いた。その結果として、生産者は商品価格に経費(肥料代・労賃など)上昇分を上乗せしなければならない。しかし、全国の主要な都市は幕府が支配所(直轄領)としており、商品の販売も株仲間などを通じて幕府の強い統制下にあった。また、商品価格の上昇は、産地としての優位性を失うことにもつながった。そのために、豪農は経営の転換を迫られるのである。 豪農は高利貸しおよび地主としての側面に比重を移し、下層農民を切り捨てる形で経営の再編を目指すようになる。その結果として、豪農の対極には、労働力販売によって生活を維持ないし補充しなければならない半プロレタリア層が形成される。
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