大音楽堂とは? わかりやすく解説

大音楽堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 13:48 UTC 版)

日比谷野外音楽堂」の記事における「大音楽堂」の解説

一般には、『野音(やおん)』の名で親しまれている。野音といえばこの大音楽堂を指し野外音楽堂代名詞的存在である。客席数は椅子2,653席、立見385席、車椅子対応15席。 東京23区内に野外ライブ開けて、しかもお客3500人以上入るような会場自体はあまりなく、さまざまなアーティストコンサート使われるほか、毎年5月1日メーデーや、市民団体集会なども行われる周囲への騒音等を考慮しコンサート土曜休日限定されている。 初代の大音楽堂は1923年大正12年7月開設され太平洋戦争大東亜戦争)中の1943年昭和18年)から一時休館する戦後GHQ接収されたが、接収解除後の1954年昭和29年8月改築の上2代目大音楽堂として再開した老朽化進行して1982年昭和57年)から全面改築工事行い1983年昭和58年8月3代目大音楽堂として完成し、現在に至る。 2006年平成18年4月1日から、日比谷公会堂とともに東京都指定管理者管理している。 降雨時の傘の使用禁止で、雨合羽はここのイベントでは必需品である(ほとんどの催事が「雨天決行荒天中止となっている)。 席はベンチ型で固いかつては客席内で煙草吸え唯一の会場であったが、現在は禁煙である。飲食は可能で、酒類販売される成毛滋呼びかけによる10円コンサートキャロル解散コンサート炎上事件キャンディーズ解散宣言尾崎豊ステージ飛び降り骨折事件岡林信康ライブJohnny, Louis & Char無料コンサート1万4千人動員、などがあった。1987年4月19日LAUGHIN' NOSEライブ中にステージ詰め掛けファン将棋倒しとなり死傷者が出る事故発生しLAUGHIN' NOSE責任からしばらく活動停止した1987年からSHOW-YAの提唱により、女性ミュージシャンのみによるフェスNAONのYAON」も開催されている。 2代目音楽堂最終催事萩原健一コンサートだった。 昭和初期の大音楽堂(中央恩地孝四郎日比谷音楽堂』(1930年

※この「大音楽堂」の解説は、「日比谷野外音楽堂」の解説の一部です。
「大音楽堂」を含む「日比谷野外音楽堂」の記事については、「日比谷野外音楽堂」の概要を参照ください。

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