大音楽堂
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一般には、『野音(やおん)』の名で親しまれている。野音といえばこの大音楽堂を指し、野外音楽堂の代名詞的存在である。客席数は椅子2,653席、立見385席、車椅子対応15席。 東京23区内に野外でライブを開けて、しかもお客が3500人以上入るような会場自体はあまりなく、さまざまなアーティストのコンサートに使われるほか、毎年5月1日のメーデーや、市民団体の集会なども行われる。周囲への騒音等を考慮し、コンサートは土曜と休日に限定されている。 初代の大音楽堂は1923年(大正12年)7月に開設され、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1943年(昭和18年)から一時休館する。戦後はGHQに接収されたが、接収解除後の1954年(昭和29年)8月に改築の上、2代目大音楽堂として再開した。老朽化が進行して1982年(昭和57年)から全面改築工事を行い、1983年(昭和58年)8月に3代目大音楽堂として完成し、現在に至る。 2006年(平成18年)4月1日から、日比谷公会堂とともに、東京都の指定管理者が管理している。 降雨時の傘の使用は禁止で、雨合羽はここのイベントでは必需品である(ほとんどの催事が「雨天決行、荒天中止」となっている)。 席はベンチ型で固い。 かつては客席内で煙草が吸える唯一の会場であったが、現在は禁煙である。飲食は可能で、酒類も販売される。 成毛滋の呼びかけによる10円コンサート、キャロルの解散コンサート炎上事件、キャンディーズの解散宣言、尾崎豊のステージ飛び降り骨折事件、岡林信康のライブ、Johnny, Louis & Charが無料コンサートで1万4千人の動員、などがあった。1987年4月19日にLAUGHIN' NOSEのライブ中に、ステージへ詰め掛けたファンが将棋倒しとなり死傷者が出る事故が発生し、LAUGHIN' NOSEは責任からしばらく活動を停止した。1987年からSHOW-YAの提唱により、女性ミュージシャンのみによるフェス「NAONのYAON」も開催されている。 2代目音楽堂の最終催事は萩原健一のコンサートだった。 昭和初期の大音楽堂(中央) 恩地孝四郎『日比谷音楽堂』(1930年)
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