大須の映画館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 07:42 UTC 版)
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 戦前の大須にあった帝国劇場(左)、大須映画劇場(右) 近代の大須は名古屋市随一の歓楽街として栄え、東京・浅草と大阪・千日前と並ぶ「日本三大商業地」と称された。1897年(明治30年)2月28日には若宮八幡宮境内の末広座でトーマス・エジソンが発明したキネトスコープが試験上映され、3月1日から15日間に渡って一般公開された。試験上映も一般公開も大阪に次いで日本で2番目のことだった。 1908年(明治41年)1月には大須に活動写真常設館の文明館が開館したが、1903年(明治36年)10月に開館した東京・浅草の電気館、1907年(明治40年)7月に開館した大阪・千日前の千日前電気館に次いで、文明館は日本で3番目の活動写真常設館だった。1908年4月には大須2番目の活動写真常設館として電気館が開館した。1909年(明治42年)3月には大須金城座が、1910年(明治43年)6月には桔梗座が芝居小屋から活動写真館に転換し、1910年(明治43年)8月には活動写真館として日出館が、1912年(明治45年)7月には太陽館が開館した。昭和初期が大須の映画館数のピークであり、大須に次ぐ繁華街である広小路通には映画館が2館しかなかったものの、大須には23館もの映画館が存在した。 太平洋戦争の空襲では、大須にあるすべての映画館が焼失したとされるが、戦後すぐに複数の映画館が再建されて営業を再開した。戦後の大須の映画館数のピークは昭和30年代前半であり、14館の映画館があった。大須観音周辺には港座・太陽館・キネマ会館・大須新松竹・大須東映(旧文明館)があり、萬松寺周辺には赤門劇場・日活シネマ・大須大映・東洋劇場があり、その他には平和劇場・宝塚劇場があった。 1959年(昭和34年)のミッチー・ブームを機にテレビが一般家庭に入りはじめ、1964年(昭和39年)の東京オリンピック前後にはテレビが一気に普及。このあおりを受けて映画は斜陽産業となり、大須の映画館は相次いで閉館、名古屋の映画館街は名古屋駅前と栄に移っていった。1950年代から1970年代前半、万松寺通には日活シネマ、大須大映、名古屋劇場、万松寺日活の4館が並んでいたが、1977年(昭和52年)にはこれらの映画館の跡地にアメ横ビルなどが開業している。 1985年(昭和60年)3月29日にはヘラルド映画興行が経営する太陽館が閉館。1912年(明治45年)に開館した太陽館は名古屋市に現存する最古の映画館だったとされ、ヘラルド興行の古川為三郎が映画業界に進出するきっかけとなった映画館である。これによって大須の映画館は成人映画館の大須名画座のみとなったが、大須名画座も1988年(昭和63年)後半に閉館し、「映画館の街」大須から映画館がなくなった。
※この「大須の映画館」の解説は、「大須シネマ」の解説の一部です。
「大須の映画館」を含む「大須シネマ」の記事については、「大須シネマ」の概要を参照ください。
- 大須の映画館のページへのリンク