大湫宿と大スギとは? わかりやすく解説

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大湫宿と大スギ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/21 05:29 UTC 版)

大湫神明神社の大スギ」の記事における「大湫宿と大スギ」の解説

大湫の集落(旧大湫村)は瑞浪市北東部位置し木曽川渓谷を刻む南側標高500メートル前後の大湫丘陵の上にある。地名は「大きな湿地」を意味し、やや湿潤な腐植土土壌を持つ。 大湫の高原は、天正年間1573年-1592年)から開拓始まった1604年慶長9年)には、大湫宿中山道67宿の1つとして開かれた大湫宿江戸時代数度火災見舞われたが、その都度徳川幕府尾張藩助成によって復旧果たしている。大湫宿明治維新伴って宿駅制が廃止されると、以後農山村化が急速に進んだ宿場町だった時代面影は、格子戸塗り込め壁の古い民家などに残っている。 大湫宿宿場町西側に、大湫神明神社鎮座している。創建1608年慶長13年)と伝わり、東に鎮座する白山神社とともに大湫村鎮守であった。 大湫神明神社境内には小さな池があって、その池の脇に大きなスギの木が生育していた。太田南畝はこの大スギについて、1802年享和2年)に著した旅日記壬戌紀行じんじゅつきこう)』で触れている。その記述では「駅の中なる左のかたに大きなの木あり。木のもとに新明の宮をたつ」と記されていた。 大スギ根元からは「神明清水」、「新明の泉」などとよばれる湧き出し地元人々もとより中山道行きかう旅人たちの渇きをいやし続けていた。地元言い伝えによれば、かつてこの地が水不足悩まされたとき、神社7日間願掛け行った。その満願という日に、白蛇現れてこの大スギ根元姿を消した人々白蛇消えたあたりを見たところ湧き出しているのが見つかって多く人々救われた。その後大湫が宿場として栄えるようになると、再度水不足見舞われた。白蛇言い伝え思い出した人々再度願掛け行ったところ、今度黒蛇現れた。黒蛇も大スギ根元姿を消したため、人々喜んでそこを掘るとさらに水量豊かな湧水掘り当てたという。このその後涸れことなく湧き続け、大湫の人々貴重な飲料水となった。 大湫の人々毎年9月下旬に、大しめ縄を作ってスギ掛けていた。大スギ目通り周囲)約11メートル、高さ約40メートルを測り、瑞浪市内で最大巨木であった。この大スギ近く似た環境のもとに生育していたスギ目通り7メートル)を伐採したところ800年輪数えたことから、樹齢推定1000年以上(1200年から1300年とも)といい、大湫神明神社神木として崇敬されていた。1955年昭和30年11月6日瑞浪市天然記念物指定されたとき、樹高60メートルを測った。1956年昭和31年6月22日岐阜県天然記念物となっている。

※この「大湫宿と大スギ」の解説は、「大湫神明神社の大スギ」の解説の一部です。
「大湫宿と大スギ」を含む「大湫神明神社の大スギ」の記事については、「大湫神明神社の大スギ」の概要を参照ください。

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