大湫宿と大スギ
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「大湫神明神社の大スギ」の記事における「大湫宿と大スギ」の解説
大湫の集落(旧大湫村)は瑞浪市の北東部に位置し、木曽川が渓谷を刻む南側、標高500メートル前後の大湫丘陵の上にある。地名は「大きな湿地」を意味し、やや湿潤な腐植土の土壌を持つ。 大湫の高原は、天正年間(1573年-1592年)から開拓が始まった。1604年(慶長9年)には、大湫宿が中山道の67宿の1つとして開かれた。大湫宿は江戸時代に数度の火災に見舞われたが、その都度徳川幕府と尾張藩の助成によって復旧を果たしている。大湫宿は明治維新に伴って宿駅制が廃止されると、以後は農山村化が急速に進んだ。宿場町だった時代の面影は、格子戸や塗り込め壁の古い民家などに残っている。 大湫宿の宿場町西側に、大湫神明神社が鎮座している。創建は1608年(慶長13年)と伝わり、東に鎮座する白山神社とともに旧大湫村の鎮守であった。 大湫神明神社の境内には小さな池があって、その池の脇に大きなスギの木が生育していた。太田南畝はこの大スギについて、1802年(享和2年)に著した旅日記『壬戌紀行(じんじゅつきこう)』で触れている。その記述では「駅の中なる左のかたに大きなる杉の木あり。木のもとに新明の宮をたつ」と記されていた。 大スギの根元からは「神明の清水」、「新明の泉」などとよばれる水が湧き出し、地元の人々はもとより中山道を行きかう旅人たちの渇きをいやし続けていた。地元の言い伝えによれば、かつてこの地が水不足に悩まされたとき、神社に7日間の願掛けを行った。その満願という日に、白蛇が現れてこの大スギの根元に姿を消した。人々が白蛇の消えたあたりを見たところ、水が湧き出しているのが見つかって多くの人々が救われた。その後大湫が宿場として栄えるようになると、再度の水不足に見舞われた。白蛇の言い伝えを思い出した人々が再度の願掛けを行ったところ、今度は黒蛇が現れた。黒蛇も大スギの根元に姿を消したため、人々が喜んでそこを掘るとさらに水量豊かな湧水を掘り当てたという。この水はその後も涸れることなく湧き続け、大湫の人々の貴重な飲料水となった。 大湫の人々は毎年9月下旬に、藁で大しめ縄を作って大スギに掛けていた。大スギは目通り(周囲)約11メートル、高さ約40メートルを測り、瑞浪市内で最大の巨木であった。この大スギの近くで似た環境のもとに生育していたスギ(目通り7メートル)を伐採したところ800の年輪を数えたことから、樹齢は推定で1000年以上(1200年から1300年とも)といい、大湫神明神社の神木として崇敬されていた。1955年(昭和30年)11月6日に瑞浪市の天然記念物に指定されたとき、樹高は60メートルを測った。1956年(昭和31年)6月22日、岐阜県の天然記念物となっている。
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