大湖地域の難民危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:51 UTC 版)
詳細は「大湖地域の難民危機(英語版)」および「バニャムレンゲ」を参照 7月に、ルワンダ愛国戦線がツチ系の保護を名目に全土を完全制圧し、大量のフツ系難民が発生した(大湖地域の難民危機(英語版))。7月19日、フツのパストゥール・ビジムングを大統領、ツチのポール・カガメを副大統領(のち大統領)とする新政権が発足。1994年末、国連ルワンダ支援団のロメオ・ダレール司令官が辞任。1995年4月22日、キベホ虐殺(英語版)。 同時期に、国連のガーリ事務総長は、ソマリア内戦への介入失敗(モガディシュの戦闘、1993年10月3日 - 10月4日)によりアメリカと対立し、さらに1995年初頭より国際支援が落ち込んで、キヴ州のゴマ(北キヴ州)などの難民キャンプに住む大量のフツ系難民が困窮する等で実務面の弱さを露呈したことから、1996年の事務総長選出ではアメリカの拒否権発動によって再選を拒否された。1996年3月8日、国際連合ルワンダ支援団が活動を打ち切り。
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