大暴落は大恐慌に影響したか
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「ウォール街大暴落 (1929年)」の記事における「大暴落は大恐慌に影響したか」の解説
1929年の大暴落と世界恐慌は、20世紀の「最大の財政危機」だったといえる。 1929年10月の恐慌はその後の10年間世界を包んだ景気後退の象徴として機能した。1929年の株価大暴落は不安定な方向感覚の喪失とない合わさった恐怖を起こしたが、その衝撃は否定する心とともに急速に麻痺し、役人も大衆も妄想を抱いた[要出典]」1929年10月24日と29日の株価暴落は、日本を除きすべての金融市場で事実上瞬間的なものだった[要出典]。ウォール街の大暴落はアメリカ合衆国と世界の経済に大きな衝撃を与え、その直後から現在まで歴史学、経済学および政治学の分野で激しい論争の種となってきた。持ち株会社による悪用が1929年のウォール街の大暴落とそれに続く世界恐慌に繋がったと考える人々がいる。多くの人々は株式市場というリスクあるものに投資することにあまりに熱心だった商業銀行の崩壊を非難してきた。 1929年の暴落は狂騒の20年代を震撼させ終わらせた。経済史家チャールズ・キンドルバーガーによって暫定的に表現されたように、1929年には効果的に存在する最後の頼みの綱となる貸し手がおらず、もしそれが存在して適切に行動しておれば、金融危機のあとについてくる景気後退の期間を短縮するキーになったであろう。この大暴落はアメリカ合衆国にとって広範に拡大し長期間続くことになる一連の経過の始まりを記した。 大きな問題は1929年の大暴落が世界恐慌を引き起こしたのか、あるいは信用取引が加速したバブル経済の破綻と単に時期が一致しただけか、ということである。株価の下落は倒産や、事業閉鎖、労働者の首切りなど経済不況となることを含み、厳しいマクロ経済的困難さを引き起こした。その結果として起こった失業率の上昇や不況は大暴落の直接の結果であるとみられているが、不況に繋がった単一の出来事では決してない。そのあとに起きた出来事に最大級の影響を与えたと見られるのが通常である。それゆえに、ウォール街の大暴落は世界恐慌を始めさせた経済の下降線を報せるものとして広く認められている。 本当かどうかは別として、その後の経過はほとんどあらゆる人々にとって深刻なものだった。学会の専門家の大半は大暴落のある1面には同意している。すなわち、それは1日で巨万の富を消失させ、即座に消費者の購買意欲を削いだことである。このことで世界中で合衆国正貨(すなわちドル)の取り付けを起こし、連邦準備制度は利率を上げて最悪の事態にせざるを得なかった。4,000ほどの貸し手が最終的に追い詰められた。また1929年の大暴落後に、直近の約定価格を上回る水準でなければ空売りできないこととするアップティックルールが執行され、売り手相場では空売りして株価を下げることを防止するようになった。 多くの学会人は1929年の大暴落を一時的活況の新しい理論の一部である歴史プロセスの部分として見ている。ヨーゼフ・シュンペーターやニコライ・コンドラチエフなどの経済学者によれば、この大暴落は単に景気循環と呼ばれる継続するプロセスで起こったひとつの歴史的事件に過ぎないとしている。大暴落の影響は単に景気循環が次のレベルに進行する速度を速めたのだと述べている。 一方、ミルトン・フリードマンはアンナ・シュワルツとの共著『アメリカ合衆国の金融史』で、「大不況」を深刻にしたのは景気循環の下降線、保護貿易主義あるいは1929年の株価大暴落ではなかったという主張を行っている。その代わりに国を深刻な不況に陥れたのは、1930年から1933年に続いた3波の恐慌の間に起きた金融システムの崩壊だった、と主張している。
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