外国人起草の是非
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
欧米の例を挙げて、外国人起草の危険性を指摘したのは穂積陳重であった(民商法共通の論点)。 近世法典編纂論の始祖、イギリスのベンサムは、欧米諸国に対して外国人起草の利を説き、自身を法典編纂事業に当たらせよと提案したが、その名声と執拗な主張にもかかわらず、アメリカ・ロシアなど諸国で遂に受け容れられなかったのである。 外国人立案の法典は公平なり、何となれば内国人の如く党派もしくは種族などに関する偏見なければなり。外国人立案の法典は精完なり。何となれば衆目の検鑿(けんさく)甚だ厳なればなり。ただ外国人はその国情に明らかならず、その民俗に通ぜざるの弊ありといえども、法典の組織は各国大抵その基礎を同じうするものなるをもって、敢てこれをもって欠点となすに足らず。 — ジェレミー・ベンサム『改進主義を抱持する総べての国民に対する法典編纂の提議』 彼の著書は既に各国語に翻訳せられ…学説は既に一世を風靡し…名を知らぬ者はなかったのである。しかも、この碩学にしてその素志の天下に容れられなかったのは…法典の編纂は一国立法上の大事業なるが故に、これを外国人に委託するは、その国法律家の大いに隗ずるところであって、且つ国民的自重心を傷つくること甚だ大であるからである。明治23年の第1回帝国議会において、商法実施延期問題が貴族院の議に上ったとき、我輩は同院で延期改修論を主張したが、上に述べた如き例を引いて、国民行為の典範たる諸法典を外国人に作ってもらうのは国の恥であると述べたのは、幾分か議員を動かしたように見えた。 — 穂積陳重「ベンサムの法典編纂提議」『法窓夜話』72話 法典…起草を外国人に委託したと云ふことは独立国ではギリシアを除くの外はないことと私は思ふ…政府が我国の中にこの大事業を委託すべき法律家がないと認められたのは、私等は甚だ恥しいことと思ふ併ながらそれは余事である、この外国人が起草いたした法典であれば殊更に…注意して入れるやうに…なされてなければならぬことであらう…我国の商業慣習と云ふものは御役所の本棚の奥へ這入って居るじゃらうと思ふ。 — 穂積陳重、貴族院演説 このギリシャ王国も、オスマン帝国からの独立時にバイエルン王国から迎えた新国王オソン1世が出身国の法学者を招聘して起草させたに過ぎない。ギリシャの慣習を無視した立法政策は国民の顰蹙を買い、失脚の一因になった。 なおロシア人法学者に民法を起草させたモンテネグロ公国はロシア帝国の事実上の保護国、起草者ボギシッチは純粋な外国人ではなく、バルカン半島の言語・慣習に精通した近辺出身者。 しかし、陳重は偏狭な国粋主義者ではなかった。最新の西洋法理に基づき日本人自身の手で編纂するとともに、外国人大家の意見批評を仰ぐべきだとも主張していたのである。 世界を家とし、人類を友とし…以てベンサム氏の眼中国境なきを推すに足るべし、人或は此論を読で、ベンサム氏の迂なるを嗤ふ、然れども、「ベンサム」の「ベンサム」たる所以の者、実に此処に在りて存す。 — 穂積陳重『法典論』1890年(明治23年)
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