外国人選手の背番号と忌み数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 17:44 UTC 版)
「野球の背番号」の記事における「外国人選手の背番号と忌み数」の解説
NPBにおいては外国人選手は忌み数と呼ばれる以下の背番号を着用することがある。 4 - 「死」を連想させる字ということでNPB創立時も4だけ着用していない球団がいくつか存在した。ただ、二塁手の守備番号と同じ数字なので、日本人でも主に二塁手が着けることは多い。 13 - MLBのあるアメリカなどで最も忌避される忌み数。日本でもNPB創立時に「13は出来るだけ避けるように」とのお達しがあったとされ、実際に多くの球団が13を空き番にしており、東京セネタース、名古屋金鯱軍、イーグルスに至ってはチーム解散まで誰も着用しなかった。その後、選手数の増加により13を着用するチームも増え、外国人選手でも着用するケースが増えた。外国人選手で最初に13を着けたのはロナルド大森(広島)。 42 - 「死に番」として日本人の使用例は他の忌み数に比べても遥かに少なく、巨人で28年間(1969年 - 1996年)、大洋で34年間(1956年 - 1989年)も欠番だったことがある。新規球団の楽天に至っては2021年現在も日本人の着用例がない。しかし、MLBにおいてはジャッキー・ロビンソンの功績に基づき全球団で永久欠番となっている特別な番号であり、米球界でのプレー経験を持つ選手、中でも黒人・ラテン系の選手がNPB移籍に伴ってこの番号を選ぶことが多い。日本人でもあえてこの背番号を着用する例がある。 44 - 「死」が2つ続く番号ではあるが、MLBで活躍したハンク・アーロンや、NPBで三冠王に輝いたブーマー・ウェルズ、ランディ・バースが着用していた番号であり、日本人選手でも自らの希望や球団側が選手に対してそれらの名選手のような活躍を期待して番号を与えるケースがある。 49 - 「死」と「苦」が続く背番号ということで外国人選手につけられる背番号だが、特に巨人ではウォーレン・クロマティが活躍したこともあり、クロマティ以降も殆どが外国人が着用している。また、阪急では球団創立から1974年に畑野実が着用するまで38年もの間誰も着用していなかった。 他にも、外国人選手の使用例が多い番号は43など40番台に集中している。
※この「外国人選手の背番号と忌み数」の解説は、「野球の背番号」の解説の一部です。
「外国人選手の背番号と忌み数」を含む「野球の背番号」の記事については、「野球の背番号」の概要を参照ください。
- 外国人選手の背番号と忌み数のページへのリンク