畑野実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/16 01:12 UTC 版)
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |  日本 | 
| 出身地 | 東京都 | 
| 生年月日 | 1949年9月23日(75歳) | 
| 身長 体重 | 177 cm 76 kg | 
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 | 
| ポジション | 内野手 | 
| プロ入り | 1971年 ドラフト3位 | 
| 初出場 | 1972年9月30日 | 
| 最終出場 | 1974年10月1日 | 
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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        この表について
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畑野 実(はたの みのる、1949年9月23日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
来歴・人物
日大三高では、高校同期の古賀正明、柴田民男両投手を擁し、2年生の時から三塁手として活躍。1966年の春季東京大会準決勝に進むが、日大一高の保谷俊夫、桜井憲の継投に抑えられ敗退。同年夏の甲子園東京都予選では決勝進出を果たし、修徳高と対決。古賀が先発するが、辻正孝に本塁打を喫するなど乱戦の末に7-9で惜敗。翌1967年夏も都予選準決勝で依田優一が四番打者であった堀越高に敗れ、甲子園出場はならなかった。
卒業後は柴田とともに日本大学へ進学。東都大学野球リーグでは三塁手、三番打者として中沢邦男らと打線の主軸となり、1971年秋季リーグの優勝に貢献。同年の明治神宮野球大会でもエース山本和行を擁する亜大を降し初優勝。
1971年ドラフト会議で阪急ブレーブスから3位指名を受け入団。1972年にはジュニアオールスターにも選出されるが、一軍出場は通算2試合だけで、1974年に引退した。
1974年の背番号は49であったが、この番号は球団設立以来空き番が続いており、39年目にして初めての49の着用であった。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S | 
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1972 | 阪急 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | 
| 1974 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 通算:2年 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
背番号
- 28 (1972年 - 1973年)
- 49 (1974年)
関連項目
固有名詞の分類
- 畑野実のページへのリンク

 
                             
                    



