畑迫村とは? わかりやすく解説

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畑迫村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 13:56 UTC 版)

はたがさこむら
畑迫村
廃止日 1955年1月10日
廃止理由 新設合併
津和野町、畑迫村木部村小川村(一部)→ 津和野町
現在の自治体 鹿足郡津和野町
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 島根県
鹿足郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,261
国勢調査、1950年)
隣接自治体 木部村、小川村、津和野町、山口県阿武郡徳佐村嘉年村
畑迫村役場
所在地 島根県鹿足郡畑迫村大字部栄
座標 北緯34度28分59秒 東経131度44分37秒 / 北緯34.48314度 東経131.74367度 / 34.48314; 131.74367座標: 北緯34度28分59秒 東経131度44分37秒 / 北緯34.48314度 東経131.74367度 / 34.48314; 131.74367
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畑迫村(はたがさこむら)は、島根県鹿足郡にあった。現在の鹿足郡津和野町の一部にあたる。元喜時雨村(きじゅうむら)[1]

地理

  • 河川:津和野川、神田川[2]
  • 山:城山山脈[2]

歴史

  • 1889年明治22年)4月1日、町村制の施行により、鹿足郡高峰村、田二穂村、名賀村、内美村、部栄村、邑輝村、豊稼村(一部、字笹ヶ谷)が合併して村制施行し、喜時雨村(きじゅうむら)が発足[1]
  • 1891年(明治24年)5月31日 - 畑迫村に名称を変更[3][4]
  • 1955年(昭和30年)1月10日 - 鹿足郡津和野町、木部村、小川村(一部、大字耕田・滝元・寺田・笹山・商人(一部)・直地(一部))と合併し津和野町が存続して廃止された[3][4]

地名の由来

喜時雨村

平地で人々が住みやすいことから喜住と名付けられた[2]

畑迫村

銅がわきいで人家が多く、家の四辺が畑地になったことから[3]

脚注

  1. ^ a b 『市町村名変遷辞典』250頁。
  2. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 32 島根県』249-250頁。
  3. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 32 島根県』525-526頁。
  4. ^ a b 『市町村名変遷辞典』624頁。

参考文献

関連項目




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