外国人風俗街時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 07:29 UTC 版)
1992年(平成4年)「大岡川桜まつり」が毎春行われるようになり、段階的に大岡川プロムナードが整備された。2011年(平成23年)は3月11日に発生した東日本大震災の影響で開催を見送ったが2012年(平成24年)で第20回目を迎えた。 2002年(平成17年)京急高架補修工事により高架下の小規模店舗(約100店)が立ち退かされたが周辺地域に拡散・拡大し、最盛期には270店舗にもなった。昭和20〜40年代は日本人娼婦しかいなかったが、昭和50年代に入ると台湾人女性の姿を目にするようになり、つづいてタイ人女性が増えていった。その後娼婦の多国籍化が進み、平成に入ると川崎市堀之内の「ちょんの間」街や相模原市上鶴間本町の「たんぼ」同様、中国や東南アジア、中米出身の女性が主体となり、日本人女性は少数派となっていた。24時間営業の店が多かったため、のべにすると計算上約1000人の外国人売春婦が稼働していたとされる。
※この「外国人風俗街時代」の解説は、「黄金町」の解説の一部です。
「外国人風俗街時代」を含む「黄金町」の記事については、「黄金町」の概要を参照ください。
- 外国人風俗街時代のページへのリンク