声楽への進出とは? わかりやすく解説

声楽への進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:07 UTC 版)

本田美奈子.」の記事における「声楽への進出」の解説

本田1996年平成8年)にオペラ『蝶々夫人』歌った。彼女が初め声楽曲歌ったのがいつだったのかははっきりしないが、ここで言及されコンサートがそうである可能性考えられる前述通り2000年平成12年前後にはクラシックへの志向強めていた本田だが、本格的にクラシックの楽曲を歌うようになったきっかけ2002年平成14年8月31日東京オペラシティコンサートホールで開催された『グラツィエ・コンサート』だった。声楽曲現代人に受け容れやすいスタイル歌え歌手探していたコロムビアプロデューサー岡野博行はこのコンサート足を運び終演後に楽屋訪れてアルバム制作することを申し入れた元よりそうしたアルバムの制作望んでいた本田即座に快諾し企画進行することとなったコロムビア内には本田アイドル出身であることで抵抗もあったが、岡野懸命説得実現運びとなった『ミス・サイゴン』以来本田恩師である岩谷時子日本語詞書き下ろし毎回入れ立ち会って場合によっては言葉旋律乗りすいようその場変えるなど全面的にサポートした編曲井上鑑担当した井上起用した理由について岡野は、のめり込み過ぎない一歩引いたクールさがあり、ホットのめり込みやすい本田とのバランス絶妙だろうと考えた述べている。 一方本田岡野大事にしたいと申し出たのは「手作りやりたい自分料理を作るように、丁寧に打ちあわせをして作っていきたいということだった。収録曲100曲以上の候補の中から実際に歌いながら彼女自身心に響く曲が選ばれた。本田は歌入れ以外の録音にも全て立ち会い、必ず一緒に歌って演奏者が歌の呼吸掴んで弾きすいようにしていた。そのまま歌を録り直さずOKになった曲もあった。クロスオーバー歌手としてデビュー作AVE MARIAはこうして完成し2003年平成15年5月21日リリースされた。 翌2004年平成16年11月25日には2枚目のアルバム『時』が発表され没後公表されたものも含めるとアルバム2枚強の音源制作された。そこに共通する考え方は、クラシックの名旋律歴史的背景とらわれず現代感覚で歌うこと、しかし決し奇を衒うではなく素直に楽曲素晴らしさ大切にするということで、特にこだわったのは日本語で歌うことだった。こうしたクラシカル・クロスオーバーでの活動により、本田従来ファン層とは異な新たな聴衆からの支持獲得した

※この「声楽への進出」の解説は、「本田美奈子.」の解説の一部です。
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