執筆から発表までとは? わかりやすく解説

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執筆から発表まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 03:33 UTC 版)

雨ニモマケズ」の記事における「執筆から発表まで」の解説

東北砕石工場嘱託務めていた賢治が壁材セールス上京して再び病に倒れ花巻実家戻って闘病中だった1931年秋に使用していた黒い手帳鉛筆記されいたものである。冒頭部ページ上部青鉛筆で「11.3.」の書き込みがあることから、同年11月3日執筆した推定されている。 全166ページの手帳は全体として自省とその当時の賢治の願望綴られ内容となっており、本作51ページ目から59ページ目にかけて書かれているこの手帳は今日研究者からは「雨ニモマケズ手帳」と呼ばれる。賢治の生前には手帳自体存在家族にすら知られておらず、本作未発表のままであったこの手帳が発見されたのは、賢治が亡くなった1934年2月16日東京新宿開催された「宮沢賢治友の会」の席上である。この会合には、招かれた賢治の弟・宮沢清六が賢治の遺品である大きなトランク上記壁材セールスの際にも使用した)を持参していた。席上参加者誰かがこの革トランクポケットから手帳取り出し他の参会者にも回覧された。その模様を、同席していた詩人永瀬清子が後に「この手帖がこの夜のみんなの眼にはじめてふれた事については疑いないように私は思う」と書き記している。 手帳の横にある鉛筆入れる筒部分には、法華経への帰依うたった短歌書かれメモ細く丸めて入れられていた。 没後1年記念した1934年9月21日付の『岩手日報夕刊学芸第八十五輯「宮沢賢治氏逝いて一年」に「遺作最後ノートから)」と題して掲載された。続いて1936年7月日本少国民文庫の「人類進歩つくした人々」(山本有三編)に収録された。この間1934年 - 1935年にかけて最初の「宮沢賢治全集」(文圃堂)が刊行されているが、こちらには本作掲載されていない1936年11月には花巻本作刻んだ詩碑後述)が建立され1939年刊行児童向け作品集「風の又三郎」(羽田書店)への収録などによって広く世に知られるうになる手帳は、2007年7月 - 同年10月に賢治の描いた絵画などとともに国内各所公開された。手帳公開1995年1996年公開から12年ぶりとなる。 2011年4月11日ワシントンナショナル大聖堂において、東日本大震災犠牲者悼むための宗派超えた追悼式開かれ、サミュエル・ロイドIII大聖堂長により本作が英語で朗読されている。

※この「執筆から発表まで」の解説は、「雨ニモマケズ」の解説の一部です。
「執筆から発表まで」を含む「雨ニモマケズ」の記事については、「雨ニモマケズ」の概要を参照ください。

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