地球平面協会の設立
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1956年、サミュエル・シェーントンが国際地球平面協会を設立し、国際ゼテティク協会の後釜と位置づけて、イギリスにある自宅で「運営事務局長」として活動した。彼が既存の科学やかわる新たな科学に関心を持っていたことから、宗教的な主張はあまりされなくなった。折しも最初の人工衛星が打ち上げられる直前のことであり、すぐに平面ではなく球体の形をした地球の姿を宇宙から明らかにされたのだが、協会はくじけなかった。シェーントンは、「訓練されていない目を写真が騙すことがいかに容易いかがよくわかる」と述べている。 だが、有人宇宙飛行の時代が到来したことではじめて、シェーントンは幅広い関心を集めることに成功した。1964年1月と6月に、ニューヨーク・タイムズで特集が組まれる。彼につけられた「平面地球人」なる異名が、イギリス議会を表すスラングになっていた。 1969年にシェーントンはポリテクニックの講師であったエリス・ヒルマンを説き伏せ、地球平面協会の会長に任命した。しかしシェーントンの死後、その蔵書のほとんどがヒルマン自らも設立に関わったサイエンス・フィクション協会の書庫に(しかもヒルマンの手によって)入れられたことがわかっている。 シェーントンが1971年に亡くなり、チャールズ・ジョンソンが後継者となった。彼はシェーントンの妻から蔵書を引き継ぎ、アメリカ国際地球平面研究会をカリフォルニアに設立して、初代会長に就任した。彼のリーダーシップのもと、創設期の僅かなメンバーは30年間で3000人前後にまで膨れ上がった。ジョンソンは、会報やパンフレット、地図などの宣伝材料を配り、彼の妻やおなじく平面地球人であった多くの人々に入会を促した。その中でも最も有名な会報は、4ページからなる季刊のタブロイド新聞である「フラット・アース・ニューズ」である。 以下は70年代と80年代の「フラット・アース・ニューズ」の代表的ヘッドラインである。 「オーストラリアは逆さまではない」(78年5月) 「NASAの父、ニキータ・フルシチョフ」(80年3月) 「科学は知性に有害である」(80年9月) 「地球は球体ではない。重力は存在しない」(81年5月) 地球平面協会が普及させた新たなモデルによれば、北極を中心にして外側を氷の壁 (45m) に囲まれた円盤の上に人類はいる。そうして描かれる地図は国連のシンボルと似通っているということを、ジョンソンは自分の意見を補強する証拠として用いていた。 地球平面協会はアメリカ合衆国政府やその機関(とりわけNASA)を攻撃することで会員を集めていた。しかし初期の協会の文章のほとんどが、聖書の地球が平面であることを意味する箇所を字義通りに解釈するものであり、そこに科学的な説明や証拠を与えようとしていた。 協会はチャールズ・ジョンソンのもとで最盛期には2000人を越える組織にまで成長した。だがその頃には、地球が球体であるということは科学的に立証され広く知られた知識になっており、「平面地球人」は、間違っていたり廃れてしまった考え方に固執する人間のことを指す言葉として一般に用いられるようになっていた。 協会は1990年代には縮小傾向をみせる。さらにジョンソン宅で火災が発生したために、会員の情報が焼失し交流が絶たれてしまったことも大きかった。管理を手伝っていたジョンソンの妻は、その後まもなく亡くなっている。チャールズ・ジョンソンは2001年5月19日に亡くなった。
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