地域の防御
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 02:51 UTC 版)
第6空挺師団の責任交戦区域内すべてで、兵力を増強する準備がなされた。第5空挺旅団第7空挺大隊はベヌーヴィルの西、オルヌ川付近でまだ激しく戦闘を続けていた。その間、第13空挺大隊が降下した数時間後にランヴィルを確保した。このためランヴィルは、オーヴァーロード作戦開始以来、初めて解放された村となった。第12空挺大隊はランヴィルの南方に配置され、南からの攻撃に備え、小さな峰に沿って塹壕を掘った。6日中何度か、第12空挺大隊はドイツ軍第125機甲大隊に攻撃され、かなりの損失を出したにも関わらず地点を守り抜き、もっと良い位置を占拠して更なる攻撃を抑止した。 深刻な兵力不足となっていた第3空挺旅団は、ランヴィルの北と東の広大な峰を制圧することとされた。また、カナダ軍第8および第1空挺大隊は、それぞれバヴァンの森とメニルの村を確保した。北では、第9空挺大隊がメルヴィル陣地に80名だけを残して、ル・プレインの村を目標とした。しかし、この村のドイツ兵を制圧するには兵力不足であった。その代わり、彼らはシャトー・ダムフレヴィルに敵兵力を引き留めておくことに成功した。ル・プレインの村からドイツ兵を排除する役割は第4コマンド隊が引き継ぎ、多くの犠牲を出したものの、夕刻までには村を確保した。旅団の残存兵力は、同様に北方の村を占拠した。峰はしばらくの間確保された。 8日には、ドイツ軍の第15軍第346師団がディーヴ川を越えて反攻し、続く4日間の間に峰の奪還を目指して、第3空挺旅団と第1特殊作戦旅団に著しい攻撃を加えた。双方の部隊は激しく損耗し、特に兵力不足であった第3空挺旅団にあっては深刻なものとなった。しかし、各旅団は並はずれたねばり強さを見せ、敵師団に大損害を強いた。ちょうど4日後には同師団を撃退した。敵第346師団は主力を二つの旅団の間に進出させようとしたが、ちょうどその位置にはランヴィルを守備する第7・第13空挺大隊がいたため、この試みも失敗に終わった。敵師団は約400名の死者と約400名の捕虜を出して無力化された。 ドイツ軍はブレヴィル(第3空挺旅団と第1特殊作戦旅団の間にある村)を確保し続け、攻撃の足がかりとしており、これは第6空挺師団全体にとって脅威であった。しかし、12日夜に第3空挺旅団とともに、コマンド数名に援護された第12空挺大隊が攻撃を開始し、損害を出したものの村を占拠することに成功した。この勝利は、この地域の制圧にとってきわめて重要であった。この日以来、第6空挺師団の責任交戦区域内で激しい戦闘が起きることはなかった。 第51"ハイランド"師団の到着は、第6空挺師団の防御を強固にするのにきわめて役立った。この地域の制圧責任は第51師団に移ったため、第6空挺師団は東方に短い防御線を敷き、これに集中することができた。その後2ヶ月間、彼らは近隣の敵情を偵察し、すぐれた働きをした。8月17日、ノルマンディーにおける進出予定線上のドイツ軍を排除する命令を受けた。車両と武装の多くが不足している状態にもかかわらず、かれらは迅速に前進し、強固な敵を制圧して高い賞賛を受けた。そして、セーヌ川の向こうまでドイツ軍を押し出した。ここで、ノルマンディーにおける第6師団の役割は終わり、9月の第1週に他の作戦まで待機するためイギリスに帰還した。
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