そのひゃんうたき‐いしもん【園比屋武御岳石門】
園比屋武御嶽石門
| 名称: | 園比屋武御嶽石門 | 
| ふりがな: | すぬひあんうたきいしもん | 
| 名称(棟): | |
| 名称(ふりがな): | |
| 番号: | 1843 | 
| 種別1: | 近世以前/その他 | 
| 国宝重文区分: | 重要文化財 | 
| 指定年月日: | 1972.05.15(昭和47.05.15) | 
| 員数(数): | 1 | 
| 員数(単位): | 棟 | 
| 代表都道府県: | 沖縄県 | 
| 都道府県: | 沖縄県那覇市首里真和志町1-7 | 
| 所有者名: | 那覇市 | 
| 指定基準: | |
| 管理団体名: | |
| 管理団体住所: | |
| 管理団体指定年月日: | |
| 構造形式: | 石造一間平唐門、左右石牆附属 | 
| 時代区分: | 室町後期 | 
| 年代: | 正徳14(明)(1519) | 
| 解説文: | 園比屋武御嶽石門はかっては国王が外出のときここで旅路の安泰を祈願したといわれ、元來門としての機能をもつ建物ではなく、沖縄固有の原始宗教である御嶽を拝する場所である。戰前国宝に指定されていたが戰災で大破し、一九五七年旧位置に復旧された。石造平唐門の左右に短い石牆を付けた形式からなり木製の扉を構える。 この石門は御嶽信仰の遺構として最も完備した形式を示すとともにその意匠、構造もたくみである。 | 
園比屋武御嶽石門
園比屋武御嶽
(園比屋武御嶽石門 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 22:04 UTC 版)
 
    
   園比屋武御嶽(そのひゃんうたき、琉球語:すぬひゃんうたき)は16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽で、沖縄県那覇市首里真和志町一丁目に位置する。沖縄県指定史跡。
概要
石門の背後にある森が園比屋武御嶽である。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であり、また聞得大君が就任する時にまず最初に拝礼した、いわば国家の聖地だった。王家尚氏ゆかりの島である伊平屋島の神「田の上のソノヒヤブ」を勧請し、祭っている。もともとは今よりも広範な森であったが、現在では小学校の敷地となっている部分もあり、残されているのは一部である。
園比屋武御嶽石門
首里城の歓会門と守礼門との間にある園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)がこの御嶽の礼拝所である。園比屋武御嶽石門は、1519年に第二尚氏王統第3代王の尚真のときに造られた。オヤケアカハチの乱(1500年)で王府軍が八重山へ出兵した際に、将の一人であった大里親方に見込まれ首里に連れてこられた西塘により創建されたという。
1933年(昭和8年)1月23日に旧国宝に指定されたが、沖縄戦の戦禍によって王城などとともに荒廃し、指定解除。1957年(昭和32年)に復元され、さらにその後旧石門の残欠を再利用して修復作業が行われた。現在の石門を注意深く見てみると、明らかに摩耗の度合いが異なる部分があるのは、このためである。園比屋武御嶽石門は1972年(昭和47年)にあらためて国の重要文化財に指定され、2000年(平成12年)11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録された[1]。
また、西塘によって創建された竹富島の国仲御嶽は、園比屋武御嶽の神を勧請した御嶽である。
出典
- ^ Centre, UNESCO World Heritage. “World Heritage Committee Inscribes 61 New Sites on World Heritage List” (英語). UNESCO World Heritage Centre. 2022年5月10日閲覧。
関連項目
- 656537494 園比屋武御嶽 - オープンストリートマップ
座標: 北緯26度13分05.1秒 東経127度43分02.5秒 / 北緯26.218083度 東経127.717361度
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