国鉄借上げ以後
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1938年(昭和13年)10月1日:鉄道省に借り上げられる。停留場が駅に変更。井出福士駅が井出駅に、内船南部駅が内船駅に、下山波高島駅が波高島駅に、鰍沢黒沢駅が鰍沢口駅に、西条常永駅が常永駅に、甲府住吉駅が甲斐住吉駅に、甲府南口駅が南甲府駅に改称。 1941年(昭和16年)5月1日:国有化され身延線となる。 1942年(昭和17年)10月1日:大宮町駅が富士宮駅に、大宮西町駅が西富士宮駅に改称。 1950年(昭和25年)8月24日:国鉄買収時に投入されたモハ62001・モハ30173ほか2両が、島尻トンネル内で落雷で切れた架線と接触し焼損。廃車となったモハ62001は西武鉄道へ譲渡。 1953年(昭和29年)5月10日:戦災により1945年ごろより営業休止となっていた金手駅が営業再開。 1964年(昭和39年)3月20日:準急「富士川」運転開始。 1966年(昭和41年)3月5日:走行キロ100km以上の準急列車は急行列車に格上げ。「富士川」のうち、身延線内のみ運転の列車は準急のまま残り「白糸」に改称。 1968年(昭和43年)10月1日:「白糸」が急行「富士川」に統合され、全列車が静岡駅に乗り入れ開始。 1969年(昭和44年)9月28日:富士駅 - 入山瀬駅間が経路変更、あわせて高架・複線化。竪堀駅・本市場駅が移転し、本市場駅は柚木駅に改称。経路変更に伴い全線でキロ修正、0.3km延長(富士駅 - 柚木駅間 +0.2km、柚木駅 - 竪堀駅間・竪堀駅 - 入山瀬駅間・芝川駅 - 稲子駅間・南甲府駅 - 善光寺駅間・金手駅 - 甲府駅間 +0.1km、沼久保駅 - 芝川駅間・十島駅 - 井出駅間・甲斐大島駅 - 身延駅間・甲斐住吉駅 - 南甲府駅間 -0.1km) 1971年(昭和46年)3月29日:富士根駅 - 富士宮駅間が複線化。 1972年(昭和47年)3月13日:入山瀬駅 - 富士根駅間が複線化。 1974年(昭和49年)9月27日:竪堀駅 - 入山瀬駅間が複線化され、富士駅 - 富士宮駅間の複線化が完成。 1981年(昭和56年)8月31日:戦前形旧型国電の営業運転が終了。62系(2代)をのぞき115系2000・2600番台に置き換えられる。 1982年(昭和57年)2月25日:列車集中制御装置 (CTC) 使用開始。 1987年(昭和62年)3月21日:国鉄最後のダイヤ改正で富士駅 - 西富士宮駅間の区間列車が増発。123系電車投入。
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