国鉄レールバス キハ10000・10200(キハ01〜03)形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 14:10 UTC 版)
「レールバス」の記事における「国鉄レールバス キハ10000・10200(キハ01〜03)形」の解説
欧州では道路事情が比較的良かったこともあり、大排気量のエンジンを搭載するなどバスの大型化が進んだ。こうした車両を鉄道関係者が見逃すわけはなく、閑散路線でのレールバスの導入が進んだ。日本では、1953年(昭和28年)に国鉄総裁の長崎惣之助が西ドイツでレールバス(西ドイツ国鉄VT98型気動車(参照:en:Uerdingen railbus))を視察したことを契機に、国鉄にも導入計画が持ち上がり、1954年試作車が製造された。以降量産車、設計変更形、北海道形(極寒地向け)が数次にわたり増備された。日本においてレールバスという用語が一般化したのはこの形式が「レールバス」という名称で紹介されてからである。 1950年代の日本はまだモータリゼーションがすすんでおらず、主要国道でアスファルト舗装がようやく進むといった劣悪な道路状況下であり、鉄道輸送の占める比重は大きかった。閑散線区といえどもラッシュ時などは相当な混雑であり総括制御が出来ず、連結両数も制限される国鉄形レールバスでは対応できないこともあった。また当初想定していた機動的な運用を行なった線区では利用客の増加など成果をあげたが、増加した乗客には収容力の少ないレールバスではやはり対応が難しかった。混雑時には座席を撤去して運用されていたという報告すらある。さらに、乗り心地が悪いことや、便所のない点でも一般的な気動車に比べて劣っていた。国鉄のレールバスはそれでも耐用年数を迎えた1960年代まで使用された。
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