国鉄バス時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 19:31 UTC 版)
柳ヶ瀬線は国鉄バスに転換後、中ノ郷 - 雁ヶ谷は県道(現・国道365号)に転用され、雁ヶ谷 - 刀根 - 疋田の主立った路盤はバス専用路として使われた。線路を専用道に改修するためには7か月を要するため、暫定措置として一般県道を利用して敦賀側は宮前橋まで、木ノ本側は雁ヶ谷までの折り返し運行を行った。そして9月1日をめどに柳ヶ瀬トンネル改修完了により一般道併用で木ノ本 - 敦賀間直通運行開始、12月1日の専用道完成をもって専用道経由の運行に切り替えるという方式が取られた。 その後北陸自動車道建設時に路盤を提供し、国鉄分割民営化を経て西日本JRバスに引き継がれるが、早い段階で木ノ本 - 敦賀直通路線は廃止。残った木ノ本 - 雁ヶ谷間は湖国バスへ移管後、現在は余呉バスが運行。敦賀 - 雁ヶ谷間はJRバス路線として維持するも(刀根 - 雁ヶ谷間はその1年後に廃止)、路線廃止のため地元のコミュニティバス(きらめきあらち号を経て敦賀市コミュニティバス)に転換された。柳ヶ瀬トンネルはJR化後に1987年(昭和62年)4月1日から県道敦賀柳ヶ瀬線として一般開放されたが、トンネルは信号機による待時制の一方向通行となり、かつての鉄道時代を偲ばせる。なおトンネル内には国鉄バス専用道化時に離合用の待避設備が新たに設けられた。なお、ここに設置された信号機は赤信号が6分30秒続く。理由は前述の通りの交互通行によるためである。
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