国鉄再建への取り組み
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「日本の鉄道史」の記事における「国鉄再建への取り組み」の解説
国鉄の経営状況は一般企業とすれば、償却前赤字となった1971年には倒産に値するものであった。しかし政府と国鉄当局は国内交通の基盤である国鉄を潰す訳にも行かず、種々の救済策を実施した。 1960年代から問題となった赤字ローカル線については、1968年に赤字83線を国鉄諮問委員会が選定して頓挫したことを反省し、1980年制定の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)に基づき特定地方交通線として83線区3157.2 kmを指定し、1990年までに廃止・第三セクター鉄道への転換を実施した。一方、1976年と1981年には約5兆円に及ぶ借金の棚上げを実施した。1976年には平均50%の運賃値上げを行い、その後もしばしば値上げを行って増収を図ったが、利用者離れも起こって赤字は増大し続けた。 当時の国鉄は国鉄労働組合(国労)や国鉄動力車労働組合(動労)などの組合が利用客の不便を顧慮することなく、「スト権スト」や「順法闘争」のような政治的な活動を繰り返していた。順法闘争は利用者の反発を買い、1973年には乗客の怒りが爆発して暴動となった上尾事件が起こるなど、国鉄へのさらなる資金投入や運賃値上げは認められない状況に陥りつつあった。 1981年から開始された第二次臨時行政調査会の活動では国鉄再建が重要項目とされた。抜本的対策として、鉄道経営の自主独立を確立し、政治家の影響を排除する民営化案が浮上した。 1983年に出された答申には国鉄分割民営化が謳われ、同年に「国鉄再建管理委員会」が設立、分割民営化のための検討が行われ、1985年に10万人の合理化などを含む最終答申が出された。この間、国鉄当局も自助努力によって大幅な合理化を実施し、人員削減を可能にしていた。 また組合問題も職場が無くなるという危機感から、経営側と動労との関係は徐々に改善していき、一方で反対姿勢をとり続けた国労は組合員が抜けて少数派に転落した。そして1987年の分割民営化が実施された。
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