営業運転開始以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:16 UTC 版)
「Toshiba (サルミエント線・ミトレ線用電車)」の記事における「営業運転開始以降」の解説
最初に製造された17両は1956年3月26日に神戸港からアルゼンチン・ブエノスアイレス港へ向けて出荷され、同年5月に到着し整備が行われたあと、6月30日にアルゼンチン政府の運輸大臣などを招いた公式試運転を成功させ、翌7月からサルミエント線で営業運転を開始した。 1960年には150両の追加発注が行われ、1962年からミトレ線への導入も開始。また1971年から1976年にかけてはアルゼンチン国営軍工廠サン・マルティン将軍工場(スペイン語: Fábricaciones Militares General San Martín)でも製造が実施され、最終的に製造・導入された車両の数は364両に至った。 最初に輸出された車両には車体中央上部に"DOMINGO F.SARMIENTO"(ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント(英語版)、サルミエント線の名前のもととなったアルゼンチンの大統領・「教育の父」)というロゴが印字されたが、二次以降に輸出された車両には"E.F.E.A."(Empresa de Ferrocarriles del Estado Argentino 、アルゼンチン国鉄道会社の頭文字より)、ミトレ線向けに輸出された車両には"GENERAL MITRE"(ミトレ将軍)というロゴが印字された。これらのロゴは金色であり、特に最初に輸出された車両に関してはアルゼンチンより印字機を取り寄せての印字が行われたという。 ミトレ線においては、従来からのイギリス製電車が乗客用の乗り降り扉にステップを保有していることに対し、当車両は高床式プラットホームのみに対応することからステップを保有しないため、当車両に合わせた高さへ各駅のプラットホームの嵩上げが行われ、並行してイギリス製電車のステップを使用中止として乗り降りに支障が出ないようにするなどの措置が行われた。 形式名は荷物室やトイレの有無問わずM.U.と言う形式称号が与えられ、車両番号はミトレ線向けの車両は1000番台(M.U.1000-)、サルミエント線向けの車両は2000番台(M.U.2000-)であった。 1970年代に入りまもなく、新たなアルゼンチン国鉄の愛称である"Ferrocarriles Argentinos"(アルゼンチン鉄道の意味)の名のもとに国有鉄道の各種ブランドを統一することになり、サルミエント線とミトレ線で共通の塗装が採用された。それはミトレ線向け車両が採用していた上部がクリーム色、下部が赤色でその間に細い青線が入る塗装を元に、前面の塗り分けをV字から直線に変更した「ハチドリ」もしくは"FA1"(Ferrocarriles Argentinos 1)と呼ばれる塗装であり、車端上部に"Ferrocarriles Argentinos"というロゴが印字された。これにより、1971年より現地で製造された16両に関しては新車時からこの塗装で登場している。 1980年代に入ると、現地で製造された16両の台車の一部に不具合が発見され、修理に入ったことからサルミエント線で車両不足が発生。イギリス製の電車と共に運用されていたミトレ線から不足分の車両を補ったほか、当該の16両の修理がすべて終わったあと、両線の間で一部の車両が交換された。
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