名鉄グループ加入と国有化とは? わかりやすく解説

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名鉄グループ加入と国有化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 15:28 UTC 版)

豊川鉄道」の記事における「名鉄グループ加入と国有化」の解説

倉田なき後は社内混乱続いた役員から倉田派が一掃され大株主東京派に占められるうになる社内不穏な状態になっていた。後任専務となった鉄道省官僚であった瓜生卓爾はめったに出社するともなく実際業務は同じ官僚出身奈良原吉之助の手行われた。そして社内倉田色を一掃せんとはかり、1935年8月新体制迎合していた水田吉田駅長を運輸課長抜擢し、さらに役員報酬をあげたので、従業員達は水田交替待遇改善求めサボタージュ開始した。この交渉難航しストライキ寸前までいった。ところが水田吉田駅長が横領容疑豊橋署に召喚されたことにより事態急転した。9月労使交渉警察立ち会いのもとでおこなわれたその結果瓜生専務水田吉田駅長の解職従業員昇給および組合活動認め組合側の勝利終わった。 だが騒動はおさまらなかった。11月組合幹部たち休職させられたことに端を発しサボタージュはじまった。これに対し会社側は全員解雇通告した従業員反発し事実上ストライキとなった再度警察介入し労使交渉結果休職解雇撤回となりおさまった。しかし1937年昭和12年)にも再発し役員従業員対立ばかりでなく役員株主対立引き起こし瓜生専務解任要求されるなどごたごた続いていた。こうした事態嫌気のさした東京海上はついに経営から手を引くことを決め1938年昭和13年4月名古屋鉄道株式譲渡することになった。この結果豊川鉄道鳳来寺田口鉄道とともに12月5日名鉄グループ入り藍川清成社長に就任することとなったのである1937年8月三信鉄道大嵐 - 小和田間が開通し東海道本線豊橋駅中央本線辰野駅豊川鉄道鳳来寺鉄道三信鉄道伊那電気鉄道の4鉄道により結ばれることになった。ただ運賃の高さがネックであった。まもなく地元からこれら四鉄道国有化運動がはじまる。まず1939年昭和14年4月飯田市長を会長とする「四鉄道国営促進下伊那促進期成同盟会」が結成され10月には鉄道省陳情おこなった続いて1940年昭和15年4月に「四鉄道国営促進上伊那促進期成同盟会」が、10月に「信遠三国移管期成同盟会」が結成され盛んに運動おこなわれた。そのかいあって7475帝国議会で4鉄道買収建議案が可決されたが、多額公債発行が必要とされるため鉄道省難色示し先送りされてしまった。 しかし1942年昭和17年12月第25回鉄道会議において4鉄道買収案は可決され同月第81回帝国議会協賛得たのち、1943年昭和18年3月6日交付され第81回帝国議会法律24号(12鉄道買収公債に関する法律)により8月1日豊川鉄道鳳来寺鉄道三信鉄道伊那電気鉄道路線飯田線として国有鉄道移管され、遅れて兼営バス事業豊橋乗合自動車譲渡した。こうして事実上交通事業閉業した豊川鉄道株式会社1944年昭和19年3月1日名古屋鉄道合併され法人として消滅した

※この「名鉄グループ加入と国有化」の解説は、「豊川鉄道」の解説の一部です。
「名鉄グループ加入と国有化」を含む「豊川鉄道」の記事については、「豊川鉄道」の概要を参照ください。

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